一方、政治家にはなかなか衣を脱ごうとしない人が多いものだが、前の住職の代によく参禅なさっていた中曽根康弘元首相は、大変に真摯なお人柄であったと記憶する。

中曽根康弘元首相も心を無にして自分の心と向き合っている。(写真=時事通信フォト)

よく、私に向かって掛け軸の言葉の意味をお尋ねになったが、孫のような年齢の私の解説を「そうですか、そうですか」と熱心に聞いてくださるのである。しかも、途中で何か言葉を挟むようなことは一切されなかった。飛び抜けて素直な心根の持ち主であることは間違いない。

では、一切のこだわりを捨て無位の真人に近づいていくためには、具体的に何をすればよいだろうか。むろん坐禅を組むのが一番だが、それが難しい場合は、坐禅の初歩である「数息観(すそくかん)」を実践されるとよい。

まずは静かに、その日1日の出来事を振り返ってみる。心ならずも暴言を吐いて、大切な人の心を傷つけてしまったかもしれない。心の中でいくら詫びても、その出来事へのこだわりを手放すことができない……。

そんなときは、「ひとーつ、ふたーつ」と長く息を吐きながら数に意識を集中させる。心の中にわだかまっている思いを数に乗せて、体の外に吐き出してしまうのである。吐き出したつもりが、また吸い込んでしまうこともよくあるが、吸い込んだらまた吐き出せばよい。

吐き出せない吐き出せないと焦ると、それがまた新たなこだわりになってしまう。

いけないのは、心が澱(よど)むことなのだ。水と同じで常に循環していれば、心が澱むことはない。

全生庵七世住職 平井正修
1967年、東京都生まれ。学習院大学法学部を卒業後、静岡県三島市龍沢寺専門道場にて修行。2002年から現職。著書に『花のように、生きる。 美しく咲き、香り、実るための禅の教え 』『心がみるみる晴れる坐禅のすすめ』などがある。