日本人の長所は薄れ、短所は拡大

IT社会では、人びとは既存の組織、コミュニティから切り離されて自由になるが、その自由を主体的に生きることができないと、かえって不安になり、別の権威にすがろうとしたり、時流におもねたりしてしまう。自然の懐にいだかれ、窮屈でもあるがぬくもりもある共同体に身を任せていたころに比べると、その不安は増大する。

これまでの日本人は生まれ落ちたときからの周りの環境、いわゆる「世間」とともに生きてきた。その特徴は、その内と外で基準が違うことである。言ってみれば、身内には無限抱擁的に優しく、よそ者には冷淡である。不祥事を起こした政治家や企業人が「世間に対して申し訳ない」というのは、「自分の所属する政党、あるいは派閥」、「自分の企業」に謝罪しているのである。その「世間」が、良かれ悪しかれ、日本人の行動の一定の歯止め役だったのも確かだが、「世間」がなかば崩壊しつつあるいま、その支えを失いながら、一方で欧米的な意味での自律的な「個」も確立できないでいる現下の日本人は、ことさら混乱しているとも言えよう。

ITはまさにグローバルに展開しているから、それがもたらす弊害もまた世界共通ではあるけれど、やはりそこには日本特有の影がある。日本人の美意識、あるいは長所ともされたあいまいなものをあいまいなままに受け入れ、それを大事にするといった心情は、ITとはもともと相性が悪い。ITを利用しながらそれを生かしていくといった方向はあり得るわけだけれど、実際には、ITによって日本人の長所は急速に失われ、短所というか欠陥は逆に肥大化している。あらためて私たち一人ひとりの生き方を真剣に考えるべき時だと思われる。

連載終了にあたって▼サイバーリテラシー研究所代表・矢野直明

本コラムもとりあえずの終了です。

私が十数年来提唱している「サイバーリテラシー」という考えに沿って、IT社会はこういうふうに成り立っているという「基本知識(リテラシー)」、だからこういうことはしない方がいい、あるいはした方がいい、といった「処世訓」、最近急速に普及しつつあるスマートフォン(ケータイ)をめぐる「親と子の心構え」の、主として3つの話題を順不同に列記してきました(スマートフォンの項は仲間のライター、吉村克己が担当しました)。

コラム全体を大きく括れば『インターネット養生訓』といったことになるでしょうか。なおインターネット登場によって生起した内外の特徴的な事件をまとめ、そこから今後の教訓を引き出そうとした拙著『IT社会事件簿』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)が、今春、携書(新書)版として再登場しました。参考にしていただけると幸甚です。

1年余のご愛読、どうもありがとうございました。

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