2015年7月23日(木)

なぜ日本人は二者択一のとき「思考停止」するのか

サイバーリテラシー・プリンシプル(28)ITは日本人にとってパンドラの箱!?

PRESIDENT Online スペシャル

著者
矢野 直明 やの・なおあき
サイバーリテラシー研究所代表

朝日新聞社で1988年にパソコン使いこなしガイド誌『ASAHIパソコン』、95年にインターネット情報誌『DOORS』を創刊、初代編集長をつとめる。2002年にサイバーリテラシー研究所を開設し、「サイバーリテラシー」という考えのもとに、現代IT社会における人間の生き方を模索してきた。この間、慶応義塾大学、明治大学、情報セキュリティ大学院大学、サイバー大学などで教壇に立つ。主著:『マス・メディアの時代はどのように終わるか』(洋泉社)、『インターネット術語集』(岩波新書)、『インターネット術語集II』(同)、『サイバーリテラシー概論』(知泉書館)、『総メディア社会とジャーナリズム』(同、2009年度大川出版賞受賞)、『情報文化論ノート』(同)、『IT社会事件簿』(ディスカヴァー21)。

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サイバーリテラシー研究所(代表 矢野直明)=文
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ITを主体的に使いこなすのが苦手

インターネット黎明期における日本人の対応は、はっきり2つに分かれていた。一方には新しい技術に飛びつき、それを無条件に謳歌するデジタル崇拝派の人びとがいて、他方には、ITをはなから嫌い、それを無条件に退け、あるいは大きく反発するアナログ派がいた。「デジタル人間」、「アナログ人間」という言い方が盛んだったころもある。前者は若者、後者は高齢者という世代的な濃淡も見られたが、両者に共通しているのが、ITという技術を道具として使いこなす主体的態度の欠如だった。

2000年代初頭、都内の大学在籍中に春秋の2回、インターネットをめぐるシンポジウムを開催していたが、そこで韓国と日本のIT利用の格差が話題になったことがある。その時参加者の1人が「インターネットが普及するころ、韓国の経営陣は若かったから、それを積極的にビジネスに活用したが、日本はそれにくらべて高齢で、インターネットを若者の遊び道具程度にしか認識せず、それが日本企業のインターネット利用を著しく遅らせたのではないか」と発言した。

まことに同感だった。私個人の経験で言っても、1980年代後半、パソコン使いこなしガイドブックを創刊するためにパソコンを導入しようとしても、「合理化のツール」という名目で予算請求せざるを得ず、往生したものである。

日本人はインターネットを前に大いに混乱していたと言っていい。実はそのことを10年ほど前、「ITは日本人にとって『パンドラの箱』!?」というコラムとして寄稿したことがある(讀賣新聞2006年2月7日夕刊文化欄)。

骨子は、欧米人は二者択一の事態に直面した時、対立する考え方を暴力的に排除もするが、対立する意見、あるいは世界があること自体はつねに意識している。日本の場合は、二者択一の場面で判断停止することが多い。その場の「空気」とか、状況に埋没し、流されてしまう。この新しい道具は日本人の「個」を育てるよりも、かえって全体の「空気」拡大装置として働きかねないというものだった(サイバーリテラシー研究所のウエブに再掲、http://www.cyber-literacy.com/archives/articles/yomiuri200602) 。

その懸念は現実のものになった。かつて集団に埋没していた日本人はいまやインターネットに埋没しがちである。手段を手段として自律的に扱うことが苦手なので、便利な道具に飛びつき、それに流されてしまう。

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