エリート事務所を辞めた理由

【田原】弁護士になることを志したきっかけは何だったのですか。

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弁護士ドットコム 元榮太一郎社長の経歴

【元榮】大学2年のときに事故を起こしたんです。家から駅までバスで20分かかるので中古車を買ったのですが、納車2週間で、縦列駐車から車道に出ようとしたときに後ろから来た車とぶつかった。ぶつかったのは僕の車が右側のバンパーで、むこうは左側ドア。常識的に考えると僕のほうが悪い。だからむこうの交渉担当の方から、修理代金50万円を全額払えといわれました。

【田原】保険には入ってなかったの?

【元榮】ローンを組んで購入したので、年間数万円の任意保険料の負担に躊躇していたんです。その矢先に事故を起こしてしまいました。

【田原】それで、全額払ったの?

【元榮】いえ、母から「こういうときはまず弁護士さんに相談しなさい」と教えられ、まず弁護士会の法律相談に行きました。すると、「そのケースだと30%は相手の前方不注意。そう相手方に伝えてみなさい」とアドバイスを受けました。その通りにしたら、あっさり70対30で解決。このときに、困っている人の役に立てる弁護士の仕事はすごいなと。

【田原】司法試験は1回目を失敗したけど、2度目で合格。弁護士資格を取って、日本有数の法律事務所であるアンダーソン・毛利法律事務所にお入りになった。このときは、もう起業を考えていたのですか。

【元榮】起業を考えたのは、楽天が某ネット証券会社を買収する案件を担当した経験をしてからです。上場直後の楽天の人たちはアグレッシブで、自分たちが時代をつくっていくのだという気概に満ち溢れていました。社長の三木谷浩史さんのことも調べて、起業家という人生があるのかと衝撃を受けました。

【田原】どういうところに?

【元榮】ベンチャーって可能性が無限大ですよね。それに、10を100や1000にするより、ゼロから1をつくるほうがおもしろそうで、血沸き肉躍るような感覚が得られるんじゃないかと。もともと高校のときに一人で日本に戻ってきたり、夜の世界のバイトに飛び込んだり、卒業して退路を断ってから司法試験を受験したりと、挑戦する生き方に惹かれる性格なのかもしれません。

田原総一朗
1934年滋賀県生まれ。県立彦根東高校卒。早稲田大学文学部を卒業後、岩波映画製作所、テレビ東京を経てフリーに。幅広いメディアで評論活動を展開。
(村上 敬=構成 宇佐美雅浩=撮影)
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