【田原】どういうこと?

【森川】PCゲームをガラケーに置き換えようとすると、大画面で動いているものを小さな画面で動かさなくてはいけないため、いろいろな要素を削ぎ落とすことになります。これはフレンチのシェフにファストフードのハンバーガーをつくれというようなもので、つくるほうは納得しがたい。それで開発のスピードが遅くなったり、コストがかかりました。また、ユーザーにも戸惑いがありました。PCゲームのユーザーさんがガラケーでも遊べるように、PCのIDをガラケーでそのまま使えるようにしました。ところがふたを開けてみると、ガラケーで初めてインターネットを使うユーザーがほとんどで、そもそもIDなんてどうでもよかった。そこに気づかず、こちらの思惑をサービス化しようとしたことが、うまくいかなかった原因だと思います。

【田原】森川さんは10年の暮れに全役員を呼んで、今後は開発資源をすべてスマホ(スマートフォン)に注ぐとおっしゃったそうですね。スマホへの移行は、むしろ早かった。

【森川】当時、スマホの時代がくるとわかっていたけど、もう少し市場が大きくなってからやればいいと考えている会社がほとんどでした。ただ僕たちはガラケーのときに乗り遅れているので、集中しないと二の舞いになるという危機感があった。だからやるなら最初からスマホ単体でやろうと、リソースをぜんぶ注ぎ込むことにしたのです。

【田原】スマホといっても、いろいろなサービスが考えられます。どうしてLINEをつくったのですか。

【森川】水のようなサービスをつくりたかったのです。水って要らない人がいないですよね。スマホにおける水は、コミュニケーションです。その分野でトップになろうと試行錯誤しているうちに生まれたのがLINEでした。

【田原】松下幸之助さんの水道哲学に近いね。幸之助さんは、水道をひねると水が出てくるように、みんなに家電を行き渡らせるという考えを持っていた。LINEは、まさしく水だ。ところで、LINEはすぐできたの?

【森川】いえ、そのころはネット上だけで出合えるツールが流行っていたので、最初は僕たちの意識もそちらに向いていました。ところが11年に東日本大震災が起きた。最初は自社のツールを使って社員の安否確認をしていたのですが、フェイスブックやツイッターのほうが使いやすく、結局はそれで連絡をとり合うようになりました。そうした経験を通して、求められているのは、いまこのタイミングに身近な人、大事な人としっかりコミュニケーションをとれるものだろうと確信。それからLINEのプロトタイプをつくってリリースしたという流れでした。

LINE社長 森川亮
1967年、神奈川県生まれ。89年に筑波大学卒業後、日本テレビに入社。99年、青山学院大学大学院国際政治経済学科でMBA取得。2000年、ソニー入社。03年、ハンゲームジャパン(現LINE)入社。07年、同社社長就任。11年、「LINE」をスタート。13年4月、ゲーム事業を分離し、社名をLINEに変更。同社社長に就任。
田原総一朗
1934年、滋賀県生まれ。早稲田大学文学部卒業後、岩波映画製作所、テレビ東京を経てフリーに。活字と放送の両メディアで評論活動を続けている。『塀の上を走れ』『人を惹きつける新しいリーダーの条件』など著書多数。
(村上 敬=構成 宇佐美雅浩=撮影)
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