新NISAブームといえど、実際に始めている人は約3割にとどまっている。それだけリスクへの不安などから一歩を踏み出せずに躊躇している人が多いということだ。しかし、実はこうした不安は人間にとってごく当然の心理。心理学者の内藤誼人氏は「心理学的にいえば、人間は基本的に保守的で、用心深い生き物なのです」と説明する。
人間はリスクを回避したがる生き物
内藤氏は「そもそも人間はデフォルト(初期設定)が好き。自分で意思決定をしたり、何かを選んだりすることはあまり好きではないのです」と話す。
臓器移植の意思を示すドナーカードの例がこれを示している。内閣府の世論調査によると、調査対象者のうち39.5%が「臓器を提供したい」と思っているのに対して、実際に意思表示をしている人の割合は10.2%にとどまっているのだ。また、臓器提供および移植の国際登録機関であるIRODaT(アイロダット)の調査によれば、人口100万人当たりの臓器提供者数は、最も多いスペインの46.03人に対して、日本は0.88人と極めて少ない。
なぜなら、日本では「ドナーにならない」がデフォルトになっているからだという。日本では、ドナーになるには運転免許証やマイナンバーカードなどで意思表示をする必要があるが、スペインでは何も意思表示をしなければ自動的にドナーになる仕組みになっている。この違いが、スペインと日本で臓器提供者数に大きな差が出る要因の一つになっている。
資産形成でいえば、日本人にとってのデフォルトは「貯金」もしくは「預金」だ。しかしこの低金利時代、銀行口座に預けているだけでは利息はほとんど付かず、資産も増えていかない。政府も「貯蓄から投資へ」と投資を推奨している。それにもかかわらず多くの人が投資に踏み出せていない状況を見ると、やはり自らの意思で現状を変えるのは簡単ではないということだろう。
また、投資は大きな利益を生み出す可能性がある一方で、損失を被るリスクもある。そして、人間には利益よりも損失を大きく感じる傾向があるという。例えば、同じ1万円だとしても、1万円を得たときの満足感よりも1万円を失った不満感のほうが大きいというのだ。これは、ノーベル経済学賞を受賞したダニエル・カーネマンが提唱した「プロスペクト理論」と呼ばれるもので、利益よりも損失を重く見てしまうという人間の特性を示している。したがって、利益が見込める場合でも、リスク回避を選ぶ傾向が強くなるのである。
投資は兄・姉よりも弟・妹のほうが向いている?
人間は本質的にリスクを回避するものであるが、そうした中でも特に危険を冒さない「リスク回避型」と、積極的にチャレンジする「リスク追求型」が存在する。興味深いことに、リスクを回避するのか追求するのかの違いに、出生順位も影響している説があるという。
内藤氏によれば、第1子は保守的で、基本的に危険なことにはチャレンジしない傾向が強い。反対に、きょうだいで下のほうになればなるほど、リスクを恐れないようになるという。実際に、カリフォルニア大学バークレー校のフランク・サロウェイは、兄弟ともにメジャーリーガーになった約700人の盗塁数を分析した。その研究によれば、兄よりも弟のほうが盗塁を試みる回数が多く、なんとその数およそ10倍もの差があったのだ。内藤氏は「これはスポーツに関する研究ですが、長男・長女のほうがリスクを好まないというのは、投資にもいえるのではないでしょうか」と推測している。
やるは一時の後悔、やらぬは一生の後悔
リスクを回避しようとして「やめたほうがいい」と思うことが人間の自然な思考であるとはいえ、ときにはチャレンジすることも必要だ。なぜなら、ちまたでよく言われる「やった後悔」よりも「やらない後悔」のほうが大きいというのは心理学的にも正しいからだ。
内藤氏は「『あなたにとって、人生で最も後悔していることは何ですか』ということを調べたコーネル大学のケネス・サヴィツキーの研究でも、やった後悔よりやらなかった後悔のほうが大きいことが分かっています。人間は、嫌な記憶がいつまでも残っていると苦しいので、辛い記憶や嫌な出来事ほど忘却作用が働きます。一方で、やらなかった後悔は痛みを伴わないのでいつまでも残るのです。ですから、興味があるならばまずは一度やってみるのがよいでしょう。チャレンジしたほうが後悔は残りにくいですし、仮にそれで痛い目を見ても嫌な記憶は後を引かないからです」と述べる。
「やめたほうがいい」から抜け出す2つの方法
それでも「なかなか一歩を踏み出せない」という人はどうすればいいのか。内藤氏は以下の2つの方法を教えてくれた。
1.誰かを誘って始める
内藤氏は「一人でやるのはためらわれる行為でも、誰かが一緒にいれば勇気を持って行動できることがあります。例えば、婚活パーティに参加したいけれど恥ずかしいというようなときに、友人と一緒なら参加できることがあるでしょう。あれがまさしくこの理論で、心理学の世界ではエージェント仮説などと呼ばれます」と説明する。
新NISAでも同様に、やってみたいけれど不安もあるという人は、誰かと一緒に始めてみるとよいだろう。身近で一緒に始められる友人がいなければ、投資のセミナーに参加して投資に興味がある知り合いをつくるのも一案だ。
2.撤退ラインを決める
始めた後に大きな損失を被らないために、投資する金額と、「ここまで来たらやめる」という撤退ラインをあらかじめ決めておくという方法も効果的だ。例えば10万円を投資に回すと決めたら、その10万円を失ったらそこでスッパリやめると最初から決めておく。そうすることで、損失を取り戻そうとしてズルズルと投資を続け、結果として大きな損失を抱えてしまう事態を避けられる。このように損失額を確定させることを「損切り」といい、投資のプロの世界でも重要な判断だとされている。「人間には誰しも失われたものを何とか取り戻して、せめてプラスマイナスゼロまでは回復させたいという心理があるため、デッドラインを決めた上でスタートすることは有効です」と内藤氏は話す。
あるいは自分自身で撤退の意思決定をするのが難しいと感じたら、家族やパートナーに決定してもらうという方法もある。
企業の場合だが、マサチューセッツ工科大学のマックス・H・ベイザーマンの研究によれば、実行の決断を下す人と中止の決断を下す人をそれぞれ別の人に決めておくことでベストな意思決定ができるということが分かっている。一人の社長が実行と中止の両方の判断をしようとしたら、どうしてもズルズルと継続してしまうことがある。そうなるのを防ぐために、自分とは別にストップをかける人間をあらかじめ決めておくのだ。
投資も同様に、自分だけで決断すると、どうしても損失を取り戻したいという欲が冷静な判断を邪魔してしまう。そうならないためにも、自分以外に撤退の意思決定者を決めておくとよさそうだ。
なかなか投資への一歩を踏み出せないという人は、不安を和らげるために親しい人を巻き込んで始めてみよう。
(取材協力=内藤誼人、構成=横井かずえ、図版作成=大橋昭一)