「24時間テレビ」を見て前向きな気持ちになった
一時期、「感動ポルノ」という言葉がマスコミ上を賑わせたことがあった。簡単に説明すると、身体障がい者をテーマやモチーフにして、主に健常者に感動的な「お涙ちょうだい」をもたらすコンテンツとして消費することを指している。
ここで思い出されるのが、日本テレビ系列で毎年放送されている『24時間テレビ 愛は地球を救う』だ。調べてみたら、僕が生まれる前の1978年から、実に45年以上も放送されている伝統ある番組だと知った。
この番組には多くの障がい者たちが登場するが、本当に感動的な物語がたくさん紹介されている。僕もたまに観ることがあるけど、実に感動的で胸が熱くなり、「この人がこんなに頑張っているのだから、僕も頑張ろう」と前向きな気持ちになることは何度もあった。
けれども、この番組こそ、先に挙げた「感動ポルノ」の象徴的な番組として、やり玉に挙げられることが多いのも事実だ。実際に僕の知り合いのなかにも、この番組を批判的なスタンスで語る人もいる。
実際に彼ら彼女らの言い分を聞いてみると、やはり「障がい者をステレオタイプに描いていること」「健常者の『感動したい』という欲求のために障がい者が利用され、消費されていること」を問題視しているようだった。
「感動ポルノ」が役立つならいいじゃないか
彼ら彼女らの言い分も理解できるのだが、僕は「別にそれでもいいじゃないか」というスタンスだ。
僕がそうだったように、この番組を観て、「勇気が出た」とか、「自分も頑張ろうと思えた」とか、「救われた」と考える人がひとりでもいるのならば、番組としての存在意義は十分あるのではないだろうか。
そして、この番組によって、障がいがある人の考え方や、彼ら彼女らの日常や実態を知る機会になれば、それはとても有意義なことではないだろうか。
もちろん、ただ自分たちの同情心を満たしたり、「自分よりも不幸な人間がいるんだから、自分はマシなほうだ」と優越感に浸ったりする見方は、確かに趣味がいいとはいえない。だからといって、「放送を中止すべきだ」とも思わないし、それによって募金が集まり、誰かが助かるのであれば無理に打ち切る必要もない。
何度もいっているように、「大切なのは、まずは知ること」というのが、僕の基本的な考えだ。したがって、この番組は「知る」という意味において長年にわたって多大な貢献をしているのは間違いない。
世間で問題になっているほど、「感動ポルノ」について僕は否定的にとらえていない。それが役に立つならば、それでもいいではないか。