東京パラリンピックは“知ってもらう機会”になった

前述したように、東京パラリンピック大会終了後は、金メダルを獲得したことによって、全国各地に呼ばれて講演活動を行ったり、いろいろなイベントに呼んでいただいたり、メディアから出演依頼があれば喜んで参加させてもらったりした。

コロナ禍での東京大会の開催には様々な意見があった。大会を終えたいま、「パラリンピックの開催は我が国にとってよかったのか?」という問いに対して、僕は「いろいろ意見はあったけれど、やっぱりよかったんだろうな」と考えている。

パラリンピックによって、まずは世界中のすごくたくさんの障がい者がスポットライトを浴びることになったことが最大の理由だ。健常者の人たちに、「これだけいろんな立場の人が、同じ社会を生きているんだぞ」ということを知ってもらえる機会になった。

なにごとも「知らない」というのがもっとも話をややこしくするというか、壁を高くしてしまうことなのだ。まずは、「知ってもらうことができた」ということが、東京大会開催の大きな意義だった。

知ってもらえるといろいろ変わってくるもので、人との距離も縮まってくる。実際に以前と比べても、パラリンピック後には声をかけてもらうことが増えた。

また、メディアを見ていても、多くの人々が共生社会について意見をしたり、いろいろな立場の人たちがメディアに出て発言したりすることが増えたと感じている。そして、それは社会として確実に一歩、前進している証拠なのだろう。

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共生社会のために“僕たち側”ができること

「共生社会」、これは非常に定義しづらい言葉だ。僕自身、「共生社会とは一体なんなのか?」と、自分なりに言葉にしたいと考えている。

僕が考える共生社会というのは、「いろいろな立場の人が、いろいろな違いがあるということを当然として認識して、その違いというものをむしろ楽しめるようになること」であり、それこそが、共生社会なのかなと考えている。

違いを受け入れるのはもちろんだが、「受け入れる」というのも非常にぼんやりした言葉だ。まったく触れないでいることも、ある意味では「受け入れている」ということだから、そこからさらに進んで「その違いを楽しめること」こそ、理想的な共生社会だろう。

東京大会終了後に、僕は結婚したのだけれど、妻とつきあいを始めた頃、彼女がふと「ミステリアスな人は、魅力的だ」と口にしたことがある。それを聞いて、「この人、すごいな」と感じると同時に「共生社会とはそういうものなのかもしれないな」と思った。

では、共生社会を実現するためにはなにをしたらいいのか? これまで、より住みやすく快適な環境を求めて、障がい者は自分の権利を主張してきた。そして、健常者はその訴えに対して、「どうにかして自分たちのマインドを変えていかねば」と考えるのがひとつの構図だった。

けれども、それだけではなく、障がい者側にもやれることがあると思う。それは、パラリンピックをたくさんの人に見てもらったように、自らも積極的に街に出ていって、「自分たちも同じ社会を生きているのだ」ということを発信していくことだ。

自ら街に出てアピールしていくことも、必要な時期に差しかかっているのだ。真の共生社会は、それぞれの違いを知り、その違いを楽しむこと。そのためには積極的な情報発信、そしてその共有が大きな鍵になると僕は信じている。