実は『万葉集』以来、子規が登場するまで、柿を詠んだ歌はほとんどありませんでした。柿は保存食として重宝しますから、昔はどの家にも柿の木がありました。日常の中にある柿は詩歌の世界で美の対象として長らく認められなかった。万葉の時代に美の対象になったのは、まず萩の花です。萩の特産地は宮城野です。陸奥に赴任した地方官が萩をお土産として持ちかえると、都の人々はそれを珍しがって歌に詠む。次に多く詠まれたのは、中華文明の舶来品である梅の花です。当時、桜はどこでも見られる日常の花という理由で美の対象とはされませんでした。
そうした詩歌の伝統の中で、現実を見て身近にある柿を詠んだ子規の句は革命的でした。それゆえこの句が評価され、司馬さんも「写生」を理想として世界をあるがままに見ようとした子規を、主人公の一人に選んだのです。
司馬作品にはほかにも『花神』の大村益次郎、『歳月』の江藤新平、『国盗り物語』の斎藤道三など、合理的な精神に富んだ主人公が多く登場します。司馬さんが人間の精神の両面を描きながらも、美しいものを見るために目をつぶるのではなく、目を見開いて現実を見るリアリズムを高く評価していたことがわかります。
では、なぜリアリズムなのか。
実は『坂の上の雲』で真之に語らせた薩摩人への批判は、薩摩出身の「軍神」東郷平八郎への批判でもありました。東郷は日露戦争後、神がかり的になって、「百発百中の一砲能く百発一中の敵砲百門に対抗し得る」と言いだします。大砲が1門しかなくても命中率100%ならば、命中率1%の大砲100門の敵に負けないという意味ですが、合理的に考えればこれが間違いであることがわかります。こちらが一発必中で敵の大砲1門を壊しても、残りの99門から弾が飛んでくる計算ですから。
ところが、東郷はこうした精神訓話をずっと言い続け、それが軍の中で大東亜戦争にも引き継がれていく。司馬さんは昭和を歴史小説として残しませんでしたが、それはこうした非合理的な精神が世界を見る目を曇らせ、日本を敗戦に導いたという思いが根底にあったからではないでしょうか。