父・田沼意次の「七光り」で優遇された
若年寄は月番(毎月交替でそのうちの1人が諸般の政務を担当し、他の者はこれを補佐する勤務方法)でしたが、意知はこれを免除され、奥勤めを時々するように命じられています。これも意次の後継者ならではの優遇でしょう。部屋住みの身でここまでの出世をするのは父・意次の権勢があったればこそ。意知は親の七光をものすごく受けていたことになります。
将来が有望視されていた意知ですが、突如、暗転します。それが天明4年(1784)3月24日のことでした。同日の昼頃、意知は同じ若年寄の同僚・太田資愛(遠州掛川藩主)、酒井忠休(出羽松山藩主)らと共に江戸城を退出しようとしていました。老中の父・意次は既に退出しています。意知らが新番組(将軍の警護を職掌とした)の詰所の前を通りかかった時に事件は起こりました。
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