「江戸中を蔦屋の本で覆いつくしてしまいたい」
彼の生涯を描いた時代小説『稀代の本屋 蔦屋重三郎』は、江戸の吉原で貸本屋を始めた20代の頃から物語が始まります。しかし貸本屋は彼にとってあくまで通過点。いずれ版元になり、自分の手で作品の企画から販売・流通まで手掛けたいと野心を抱いていました。
吉原の案内書である「吉原細見」を見ながら、若き重三郎はこうつぶやきます。
自分ならもっと面白いものや新しいものを世に出せる。その思いが彼の原点にあります。実は重三郎は通称で、本名は柯理というのですが、名前の由来を聞かれると彼はこう嘯いたといいます。
これが彼の描くビジョンでした。
利益を次の縁につなげる投資戦略
その後、吉原細見を手掛ける機会を得て、出版人としての第一歩を踏み出した重三郎は、「近いうちに黄表紙全盛の時代がくる」と予想します。
黄表紙は滑稽や洒落を交えた挿絵つきの本で、出版するには優秀な書き手と絵師の両方が必要です。
そこで重三郎はどのような手を打ったか。答えは「本屋であがった利益を惜しむことなく次の作物のための投資にあてた」です。
既刊の出版物が売れて入ってきたお金を使い、これぞと狙った文人や絵師を吉原に招き、酒を酌み交わしながら作品のアイデアを語り、相手の考え方や人となりを知る。これが重三郎の投資戦略でした。
プロデューサーにとって人と人を結びつけ、縁をつくる力が何より重要であることを、彼は理解していたのでしょう。
私も明治大学に就職したばかりの頃は、同僚たちと夜遅くまで試験の採点に取り組んだときなど、よく帰りがけに皆で飲みに行きました。30年近く前の話ですが、当時酒を酌み交わした仲間とは縁が続いていて、今でも気軽に仕事を頼み合う関係です。
今は職場外のコミュニケーションが敬遠されがちですが、職場とは別の場に集まり、「次はこんな企画をやってみたい」といったアイデアや思いを語り合うのは楽しいものです。こうした場を率先してつくってくれる人がいると、そこから縁が生まれ、新しい仕事につながりやすくなります。

