「めちゃくちゃ、母を愛している」
これは、健気な少女の話なのか。違う、と私は思う。子どもは親のことなんかに気を使わずに、もっと無防備で、わがままで、のびのび育つべきなのだ。そんな言葉が思わず漏れた時、サヘルさんの瞳から涙がポロポロ溢れ、声が震え、嗚咽となった。
「悲しかった。生活が貧しかったこともそうですし、お母さんも、自分を苦しめるために、私を引き取ったわけではないのに……」
すぐにサヘルさんの瞳に、強い光が戻ってきた。
「絶対に誤解してほしくないのは、私、めちゃくちゃ、母を愛しているのです。お母さんの行為を、私は虐待とは思いたくない。私はお母さんのやり場のない感情を、どうにかして受け止めてあげたかった。だから、私は一度も、虐待という言葉を使ったことはないのです。だからこそ、これを読む方々にお母さんが間違ってうつるようにだけはしないでほしい。虐待ではなく、お母さんの悲しみ」
ひとつだけ、心が温かくなるのは、父親という存在に思いを馳せる時だ。サヘルさんには、父親への憧れがある。
「愛っていうものがあまり実感できないんですけど、父親っていうものに憧れることが多いです。安心感が欲しかったなって。父親がいれば、母親も家庭ももっと安定したのかな。お母さんから私に向かってくる愛情も、父親がいれば、夫婦で共有できたのかなって思うんです。だって全部、子どもである私に来るんです。実の親からもらいたかった愛情も、『私のこと、全部、わかってよー!』という、必死な思いも。でも、年齢も全然違う、子どもである私が、お母さんが言っていることをわかろうとするって、もう、背伸びでしかなくて。気づいたら、等身大には生きられなくなっていました」
「私が自分の人生を歩むことなんて、不可能です」
そうであっても、39歳になる今まで、サヘルさんは一度もフローラさんから逃げることも、別れることもしていない。そしてそれは、今後一生、変わらないという。
「なぜなら、お母さんは私から逃げようとしなかったから。そんな状態でも、どんな時でも、私に向き合おうとしているし、いつも背中を見せてくれたのは母なので。思春期でも、20代でも、30代でも、お母さんに反抗なんかしてきたら、私、一生、自分を許せなかったと思う。私しか、彼女にはいないし、彼女を理解できるのは私しかいない。私を理解できているのも、全てじゃないとしても、お母さんの中では100%、私を理解していることになっています。だから、それを最後までちゃんと親孝行として、お母さんに思っていてもらうのも大事だと思っています。私の幸せは、お母さんを看取ること。お母さんが苦しんでいた分、今は本当に笑っていてほしいし、幸せでいてもらいたい」
今や、フローラさんとサヘルさんの立場は逆転し、フローラさんは子どもに戻ったという。
「彼女にとっては、私しかいない。再婚もしなかったし、パートナーもいなかったし。異国の言葉もわからない環境で、話し相手は私だけ。私のためだけの人生だと、はっきり言っています。『あなたのためだけに生きている、あなたのために全部を捨てたし、全部を捧げた』と言われたら、私が自分の人生を歩むなんてことは、不可能です。お母さん、本当は実の親から受けたかった愛情を、全力で愛されたかった愛情を、代わりに私に注入しているんだと思います。そのことをわかったうえで、私は母のこと、めちゃくちゃ愛していますし、この命は母のために捧げています。彼女が、私を苦しめているなんてことは、誰にも思ってほしくないんです。だってこれは、私が選択したことだから」
母のために捧げた人生だと、サヘルさんは強い語調できっぱりと言い切った。でも、そのサヘルさんの中には、傷ついた心を抱える“インナーチャイルド”が存在していることを、サヘルさんはちゃんと知っている。
(後編につづく)


