7歳から始まったサヘル・ローズという新たな人生
施設では、「空爆で、家族全員が亡くなった」と聞かされて育った。サヘルさんは、そのストーリーに対して首を横に振る。
「それは、施設の職員が良かれと思って、当時の子どもたち全員に言っていることです。私の場合はけっこう、時代的にも複雑な事情で、家族に置き去りにされたみたい。残っている記録を見ると、きっと親戚はどこかに生きていると思います。記録では、私は12人きょうだいの末っ子で、それなら、きょうだいの誰かはどこかにいるでしょう? 父母っていう人たちにしてもその町(激戦地)に戻っている時点で、亡くなっている可能性が高いのですが、そういうことが何一つ調べようがなくて、それがつらいです。どんなに頑張っても、知ることができない事実もあるわけです」
今につながる“起点”となり、幼いサヘルさんにとって記憶がはっきりとした像を結んでくるのが、7歳の時に養母となるフローラさんが出現してからだ。
サヘルさんの施設にボランティアに来ていたフローラさんは、運命に導かれるように、この女の子を自分の養女にしようと決意する。しかも、イランでは当時、養子縁組が可能なのは、「子どもを持つことができない人に限る」という条件があった。
「私を養子にするために、お母さんはイランで違法な手術をして、子どもを産めない身体にしたのです。手術は夜中に産婦人科医のところに行き、麻酔もせずに手術をした。子どもの頃、お母さんのお腹の傷が不思議でした。『この傷、何?』って聞くと、『あなたにはお姉ちゃんがいて、でも亡くなったの』って言っていました。私はずーっと、その子の傷だって思っていたんです。お母さんとは血が繋がっていないってわかっていたはずなのに、不思議なのですが、なぜかこの話を聞いたときには、そのことを忘れて、自分がお母さんから生まれた本当の子どもだと思い込んでしまい、自分が生まれる前に、お姉さんがいたんだと、思い込んでいました。18歳の時に母から告げられ知った事実です」
親子になるにあたりフローラさんは、新しい名を娘に与えた。それが、「サヘル・ローズ」だ。「砂漠に咲く、一輪のバラ」――サヘル・ローズという新たな人生が、7歳から始まった。
フローラさんの実家は裕福だったが、養女を迎えたことに当時は激怒、経済援助を全て打ち切られ困窮したフローラさんは1993年、日本にいた当時の夫(サヘルさんの義父)に頼って来日した。2人にとって、言葉も一切わからないのはもちろん、右も左もまったくわからない日本での生活が始まったのだ。


