子どもの倫理観を育てるにはどうすればよいのか。言語学者の船津洋さんは「人間関係の根っことなる倫理観は、親子間の会話の中で育てることができる。ポイントは『見せる』『説明する』『考えさせる』の3つだ」という――。

※本稿は、船津洋『「地頭力」を鍛える子育て自ら学び、考える力がアップする確かな方法』(大和出版)の一部を再編集したものです。

「衣食足りて礼節を知る」

あなたは、道端にゴミをポイと捨てますか?

「捨てない」という人がほとんどでしょう。また、ゴミのポイ捨てが当たり前という文化圏もすでに存在しないでしょう。

確かに、生存が優先される貧困地域ではポイ捨てもめずらしくないかもしれません。「衣食足りて礼節を知る」ということばもありますが、それどころではない人たちもいるのです。

歩行者が芝生に捨てた使用済みコーヒーカップ
写真=iStock.com/fcafotodigital
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文化レベルが高まると倫理感が似てくる

しかし、衣食住足りていても倫理観が低い人たちもいるので、困ったものです。

倫理観はどのように育つのか、という点に関して、生まれつきであれば、そもそもポイ捨てはしない、ということを知っていることになりますが、やはり後天的な環境的な要因も少なくないでしょう。

文化レベルが高まると、人種や宗教を問わず、倫理に関して同じような判断をする傾向があります。倫理観が人類に普遍であるという例は、倫理的思考実験である「トロッコ問題」などに表れています。

【トロッコ問題】

あなたは、制御不能になったトロッコが走る線路のそばにいます。その線路の先には、5人の作業員がいて、このままではトロッコにひかれてしまいます。

あなたの手元には、線路を切り替えるレバーがあります。もしレバーを引けば、トロッコは別の線路に進みます。しかし、その別の線路にはまた別の作業員がひとりいます。

あなたは、レバーを引いてひとりを犠牲にして5人を救うべきか、それとも何もしないで5人を犠牲にするべきか、という究極の選択を迫られます。

また『トロッコ問題』から派生する『橋の上の男問題』では、先の5人の作業員を助けるためには、橋の上から男を突き落とさないといけません。

『トロッコ問題』では、5人を救うためにレバーを引いてトロッコをひとりの方向へと切り替えるということに受容的な判断を示す人が多くなります。

ですが、『橋の上の男問題』では、男を直接橋から突き落としてトロッコを止めるので、多くの人が反対します。

さらに、ひとりの健康な人の臓器を移植して5人を救うか否か、とされる思考実験では、移植に賛成する人は皆無なのです。

このように、とある命題に対して文化背景や宗教が異なっても人々は同じ反応を示すことから、倫理感は人類共通であるという考え方が行われるわけです。

善悪・正邪の感覚は世界共通、あるいは少なくとも日本人内では共通のはずです。

つまり、いじめは悪い、盗みも悪い、困っている人は助けてやりたい、と自然にそう思うはずなのです。