「ほめる」が引き起こす承認欲求の罠

親は子どもが問題行動をすれば叱りますが、問題行動をしない、親が気に入ることをする子どもはほめます。そうすると、ほめられる子どもとそうでない子ども、叱られてばかりいる子どもと叱られない子どもが出てきます。どの子どもも親にほめられたいと思うでしょうが、いつも親にほめられるような行動ばかりはできません。親からほめられなくなった子どもは、先にも見た通り叱られてでも注目されようとします。

たとえば、絵を描くことは楽しく、本来それだけで満足できるはずですが、ほめられたい子どもは描いた絵を親に見せに行きます。親は子どもが見せた絵に対して面と向かって「下手だ」とは言わないでしょうが、期待していたような評価を親から得られずがっかりした子どもが、時間をかけて描いた絵でも、くしゃくしゃと丸めて捨ててしまうことはあります。

そのような子どもは絵を描きたいから描いたのではなく、ほめられるために描いたので、ほめられなければ絵を描く意味はなくなるのです。

ほめることは子育てや教育で有用だと考える人は多いですが、ほめることの弊害を知っておかなければなりません。親に注目されるために勉強するのも、親を困らせるために勉強しなかったり、他の問題行動をとったりするのも、どちらも親に注目され特別であろうとしてすることです。

自立心を奪う「承認」依存

岸見一郎『「普通」につけるくすり』(サンマーク出版)
岸見一郎『「普通」につけるくすり』(サンマーク出版)

アドラーはほめることについて、次のように言います。

「支持され、ほめられている間は、前に進むことができた。しかし、自分で努力する時がやってくると、勇気は衰え、退却する」(『人生の意味の心理学』)

アドラーは時にほめることが望ましいと読めるような書き方をすることがあるのですが、ここではほめることの弊害についてはっきりと書いています。子どもは「支持され、ほめられている間」は前に進むが、「自分で努力する時」になると、勇気を失い、退却することがあるのです。

他のきょうだいとの競争に勝ち、親に注目されるために特別でなければならないと思いながら育った子どもは、やがて他の人に認められるために勉強し、仕事をするようになります。

ほめて伸ばすという人もいますが、上司が部下をほめる場合も、同様の問題が生じます。ほめられたら意欲的に働くけれども、ほめられないときには、意欲的に仕事をしなくなるのです。