注目されるために「特別」を追い求める
このように、どのきょうだい順位に生まれた子どもも、親の注目を得るために特別であろうとします。「特別でなければ注目されない」と考えるからですが、注目されなければならないと思うのは当然のことではありません。親に注目されようと思わない子どももいますし、大人になってからも仕事は頑張るけれども、それを他人に認められようと思わない人もいます。そのような人は、注目されることに価値を見出さず、むしろ、注目されなくても自分の行為そのものに価値があると考えるのです。
小学生の頃の私は勉強をして認められたわけではありませんでした。勉強ができるからといって注目されることにはなりませんでしたが、それでも、いい成績を取るようになると、勉強ができるというイメージに自分を合わせ、特別であろうと思うようになりました。
他の人の期待を満たそうとしたからですが、「誰も私が勉強ができることを期待していないのではないか」というようなことは考えていませんでした。
子どもの思い込みが作る「競争」の構図
親から注目されなくなったというのは、あくまで子どもがそう思ったということです。親はどの子どもにも同じように接しようとしているので、「前のように私にかまってくれなくなった」というようなことを子どもが言うと、親は驚きます。しかし、親も自分の子どもの頃のことを振り返ると、弟や妹が生まれたことで、親からあまり愛されなくなったと感じたことを思い出すかもしれません。
子どもたちは親からの注目、関心、愛情を得るために競争します。この競争に勝つためには、特別でなければならないと思います。たとえば、勉強であれば、いい成績を取らなければならないと思います。
しかし、競争はどこにでも見られるからといって、それが当然かといえばそうではありません。競争に勝っても、ずっと勝ち続けることは難しく、勝者もいつ負けるかと戦々恐々としています。ライフスタイルを決めるときに影響を与える要因として、生まれ育った文化を先にあげましたが、もしも競争することが当然とされない社会であれば、特別であろうと思わなかったかもしれません。
きょうだい順位によって、他のきょうだいと競争することがあることを見ましたが、親の子どもへの接し方も、子どもの競争を助長します。親が子どもを育てるときにほめたり叱ったりすることです。


