源内の死は誰の指示だったのか
第15回で平賀源内(安田顕)は、意次の依頼で家基が倒れた理由を探り、手袋に毒が仕込まれていたと見抜いていた。だが、真相を究明したい源内は、事件を幕引きしないと危険だと判断した意次から、このことはもう忘れるようにいわれて反発する。

そこにちょうど蔦重こと蔦屋重三郎(横浜流星)が、新作の執筆を依頼してきたので、源内は『死を呼ぶ手袋』の物語を提案した。だが、その内容はあまりにストレートだった。
稀代の悪党による手袋をもちいた殺人に気づいたのが「七ツ星の龍」だが、悪党はその「龍」を人殺しに仕立てる。そこから「龍」と「源内軒」による敵討ちがはじまる――。
「七ツ星」が田沼家の家紋「七曜」を指しているのは明らかで、こうして源内が真相を知っていることが伝われば、当然ねらわれる。源内のもとには久五郎ら謎の男が接近。むろん「黒幕」が使わせたものと思われる。旗本屋敷の図面を書かせながら、タバコと称してアヘンのような薬物を吸わせ、幻影が見えるほど酩酊させた挙句、奈落に落とされた。
黒幕の使者は真相を知りすぎた久五郎を切り殺し、源内を犯人に仕立てた。薬物で気を失っていた源内が意識を取り戻すと、自分は血がついた刀を握り、横に血を流した久五郎が死んでいた。源内は伝馬町に入獄し、そのまま獄死する。
こうして、黒幕がねらったとおりに事は進み、また番組の最後に一橋治済の姿が映し出された。饅頭をほお張り、その前で源内が書いた『死を呼ぶ手袋』が燃やされていた。
ちなみに『死を呼ぶ手袋』の1枚目、つまり、悪党の所業に「七ツ星の龍」が気づいた云々というくだりが書かれた紙だけは意次が入手し、焼却を命じた。この文言を黒幕に読まれずに済んだため、意次は消されずに済んだ、という設定なのだろう。
一橋治済(生田斗真)の暗躍
ここまで将軍の世継ぎの家基、老中筆頭の松平武元、そして平賀源内と、3人の死がいずれも、一人の人物による政治的謀略によるものとして描かれた。実際、3人はともに安永8年(1779)に死去している。
そして、その黒幕たる人物は、8代将軍吉宗の孫の一橋治済だという話である。
たしかに、家基の死が治済を利する結果になったことは間違いない。家基の三回忌の法要が終わった安永10年(1781)2月、継嗣がいなくなった将軍家治は、だれを養子にすべきか田沼らに検討を命じ、治済の嫡男の豊千代(のちの11代将軍家斉)が選ばれた。
しかも、その後の治済の動きを見ると、かなりの策士であったと想像される。意次が幕政を主導するようになると、田沼家の血縁を家老に迎えるなど露骨に接近しておきながら、意次を重用していた将軍家治が死去し、息子の家斉が将軍になると、手のひらを返して田沼派を一掃した。
その後は、自身は将軍にならなかったものの、将軍の父として隠然たる影響力を行使。老中筆頭として改革を進めた松平定信とも対立したが、きっかけは家斉が父の治済に「大御所」の尊号を贈ろうとした際、定信が反対したことだった。その後、定信は失脚している。