だから「これくらいできないと」が蔓延する
【武田】「これぐらいできないと……」には「社会は所与のもの、既存のもの」という社会観が大きく影響していると感じるんですよね。
「社会がこうだから、これぐらいできるようにさせてあげないと」と、先に規定されている、揺るぎない「社会」というものがあって、それが大前提だから「これぐらいできないと」となるわけですよね。「だってこの子が困るでしょ」と。
意地悪してるわけじゃなくて、本当に善意なんです。挨拶はわかりやすい例です。でも、その善意自体はわかりますが、本当は社会だって場所によるし。
【勅使川原】そうなんですよね。ある種、そこで呼んでいる「社会」というのが、変わりそうもない魔物で、個人というのはその魔物に服従するほかないかの存在になっていますね。
【武田】一口に「社会」って言っても、カタい職場もゆるい職場もあります。自分に合う場所を探すことも選ぶこともできるし、同じ場所であっても変わっていきうる。もっと「変わっていくもの、変えていけるもの」という、可変的な社会観を広げていきたいです。
なぜ「1日も休まなかったこと」が表彰されるのか
【勅使川原】学校って何事も「全力」でやらないと駄目ですよね。
【武田】全力というと?
【勅使川原】本当に全力でやってみたのか、挑戦したのかどうかみたいな。「できるけれども、とても疲れる」が許されないのは、「疲れたぐらいでは駄目」なわけじゃないですか。不能に陥った、なんなら倒れる寸前ぐらいじゃないと駄目という、これは何なんですか。マッチョ全力問題。
【武田】ああ……それしんどいですよね。でも、自分も結構、その価値観を吸収してきてしまっているなとも思います。
【勅使川原】でも、そうもなりますよね。私の学生時代は、皆勤がバキバキに奨励されていました。
【武田】皆勤賞を表彰している学校、まだそれなりにあるようですね。
【勅使川原】減ってはいるとか。皆勤じゃないとダメなのか? は学問的にも問われてきていますよね。保坂亨さんの『学校と日本社会と「休むこと」:「不登校問題」から「働き方改革」まで』(東京大学出版会、2024年)など。
【武田】全力イズムはありますよね。



