教育の現場では、生徒の行動を細かく管理しようとする学校も少なくない。NPO法人School Voice Project武田緑さんは「許可制も含め『管理せねば・コントロールせねば』という思いや姿勢が、先生たち自身のこともしんどくさせている」と懸念する。組織開発者の勅使川原真衣さんとの対談の一部を、『「これくらいできないと困るのは君だよ」?』(東洋館出版社)より前後編でお届けする――。(後編/全2回)
ソファに座った息子の目線に座り、手を取り、言い聞かせている親
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学校は「正しさ」であふれている

【武田】学校は「正しさ」に溢れているなというのは、他のところでも実感していて。

勉強の仕方について、「こういうふうに取り組もうね」「こうやるといいよ」という指導やアドバイスが先生から発せられることはよくあることですよね。

それ自体は問題ないし大事だとは思うんですけど、そこに「学習への臨み方」、つまり姿勢や態度、心の持ち方のようなものが含まれて「こうあるべし」みたいなかたちで階段的なモデルとして示されることがあって。そうした固定化した理想って、けっこう苦しいんじゃないかと思うんですけれど。

【勅使川原】それを示してる先生自身は、しんどいとは思っていないんですよね。

【武田】きっと、わかりやすくて子どもに説明しやすいから使ってるってことなんだろうと思います。「こんなふうに成長していけるといいよね」と。

当てはまらない子は「ダメな子」なのか

【武田】もちろん指導上手な先生は、モチベーションを喚起して励ます方向性でそれを使うんだと思うんですが、設定されている“良き姿”に当てはまらない子を「こういうのはだめ」と否定するようなメッセージが伝わっちゃうこともきっと少なくないだろうと思います。

【勅使川原】まさに言動に良し悪しをつけ、なんなら序列までつけるという、能力主義的な発想そのものですよね。一元的な基準で態度まで縛られると、もう何も言えないですよね。口を塞がれるというか。

【武田】あと、「授業に参加しない」とか「前向きに取り組まない」というようなことがあったときに、それを「その子の問題」として捉えて、個人の成長だけを求めようとすることに、私は違和感があって。教え方や授業の構造・クラスの環境は変わらなくていいんだっけ? って思うんですよね。やっぱり社会モデル的な考え方というのはすごく重要だと思います。