故郷の岸和田に店を構え、生涯手放さなかったのはなぜか
ドラマ最終話では糸子のナレーション「おはようございます。死にました」の後に、娘たち孫たち、ご近所などが集まり、岸和田のみんなの「お母ちゃん」として糸子が生き続けるさまが描かれた。あまりに斬新な「死」、そして「喪失」からの立ち直りの描写である。
しかし、史実のほうも愛情深さでは負けていない。
『お母ちゃんからもろた日本一の言葉』によると、綾子は死の間際、脳梗塞で倒れて話ができない状態になったが、そんな折、娘たちのもとに1冊の女性誌が届いた。そこには元気な綾子の笑顔と「母から娘への遺言~いま話したい大切なことがある~」と題したインタビューがあり、娘たちの幼い頃のエピソードと共に、岸和田を離れない理由も書かれていたという。
その理由とは、娘たちが故郷に帰りたいときに故郷がなかったらさびしい思いをするから。いくら娘たちに「一緒に住もう」と言われても、受け入れなかった理由は、娘たちの故郷を守るためだったのだ。その最後には「遺言」としてこう書かれていたという。
「もらうより与えるほうが得やで」
実に長く、太く、愛情豊かな人生だった。
1973年長野県生まれ。出版社、広告制作会社勤務を経てフリーライターに。ドラマコラム執筆や著名人インタビュー多数。エンタメ、医療、教育の取材も。著書に『大切なことはみんな朝ドラが教えてくれた』(太田出版)など