旧皇族の末裔を騙る人物が現れるワケ

皇室の中心にある天皇という存在は、古代においては政治的な権力者であった。しかし、時代が進むにつれて、藤原氏などに権力を奪われていった。それでも、藤原氏による摂関政治に終わりが訪れると、院政を敷き、膨大な荘園を所有することで権力を行使した。

その後、平安時代の終わりから武家が台頭し、武家政権が誕生すると、朝廷はしだいにお飾りのような存在に変質していった。それでも、武家政権が天皇を廃そうとしなかったのは、天皇には官位を与える権限があったからである。武家が政権を掌握できるのも、天皇という後ろ盾があってのことだった。天皇は実質的な権力を失っても、権威として君臨し、近代の社会では立憲君主にまつり上げられた。

明治以降は、明確な身分社会で、天皇と皇族がその頂点に立ち、その下には華族がいた。江戸時代に武士だった家の人間には「士族」という称号が与えられ、「平民」と区別された。そうした身分制度は、戦後解体されたものの、天皇と皇族は存続し、一般の国民とは異なる特別な存在と見なされている。そこで、旧皇族の末裔を騙る人物が現れたり、献上品をめぐる詐欺事件が起こるのだ。

宮内庁御用達など今は存在しない

紛らわしいのは、現在でも「宮内庁御用達ごようたし」ということばが生きていることである。これは、戦前の「宮内省御用達」の制度に遡る。戦前、宮内庁はそれよりも格が高い宮内省だった。宮内省御用達の制度は、明治24(1891)年にはじまり、優れた商工業者にお墨付きを与える役割を担った。

明治期の宮内省
明治期の宮内省(写真=「明治百年の歴史 明治編」より/PD-Japan-oldphoto/Wikimedia Commons

戦後、宮内省が宮内庁に格下げになると、宮内庁御用達の制度に改められるが、それも、昭和29(1954)年に廃止されている。

つまり、宮内庁御用達など今は存在しないのだ。

日本広告審査機構では、歴史的な事実を表示する場合を除いて、「宮内庁御用達」ということばは使用できないとしている。

しかし、今でも宮内庁御用達を名乗っている業者はいる。あくまで歴史的な事実として示されたものだが、その制度が廃止されたことへの言及はないので、今でも宮内庁御用達が存在すると思っている人たちも少なくないことだろう。