よみがえる「有栖川宮詐欺事件」

この出来事は、2003年に起こった「有栖川宮ありすがわのみや詐欺事件」のことを思い起こさせる。

有栖川宮家は、天皇に世継ぎがいない場合、次の天皇を立てることができる世襲親王家の一つだった。ところが、第10代の威仁たけひと親王には子がいたものの20歳で早世してしまう。その後、威仁親王が亡くなったことで、有栖川宮家は断絶することになった。

有栖川宮威仁親王
有栖川宮威仁親王(写真=『皇室族聖鑑 大正篇』東洋文化協会編、昭和12年/PD-Japan-oldphoto/Wikimedia Commons

有栖川宮の名は有栖川宮記念公園として残されている。この公園は東京メトロ日比谷線の広尾駅近くにあるが、もとは有栖川宮の御用地だった。

有栖川宮詐欺事件は、高松宮宣仁のぶひと親王の落胤らくいんで、有栖川宮家の祭祀を継承していると称し、「有栖川識仁さとひと」と名乗っていた男が、知り合いの女性と共謀し、東京の青山で結婚披露宴を行い、約400名の招待客から祝儀など約1200万円を騙しとったものだった。

披露宴には、石田純一やエスパー伊東といった芸能人が参列していたことでも、この事件は注目を集めた。

男の本名は北野康行で、女は坂本晴美だった。二人のあいだには婚姻関係も恋愛関係もなかったが、この事件により二人は逮捕され、ともに詐欺罪で2年2カ月の実刑判決を受け、服役している。

北野氏は出所した後に、依然として有栖川識仁を名乗り、「有栖川宮記念」という政治団体まで結成していた。ただし、この団体は現在ではほとんど活動していないようだ。

皇室をめぐる詐欺事件の有罪判決

この二つの出来事の共通性は、華頂宮家と有栖川宮家が、ともに大正時代に断絶していたことだった。有栖川宮家の断絶は、大正2(1913)年のことである。有栖川宮家と聞けば、公園のことを思い出すが、そうした宮家が断絶していることなどは誰も記憶していない。宮家の末裔を称した人間は、そこに目をつけたのである。

これが、旧宮家ではなく、現存する皇族だと名乗れば、すぐにばれてしまう。落胤と称する手はあるかもしれないが、それで信じさせることは難しい。

旧皇族の末裔を名乗ったものではないが、最近、皇室との関係をうたった詐欺事件も起こっている。こちらは、皇室に献上するとして福島県や茨城県の農家から桃やトマト、シイタケを騙しとったもので、犯人は逮捕され、2024年9月5日、詐欺罪などで懲役3年執行猶予5年の有罪判決を下されている。

加藤正夫という本件の犯人は、東京大学大学院客員教授や樹木園芸研究所長であると称し、「天皇陛下が食べる食品を検査している」とか、「献上品を選定できる」と農家に告げていた。しかも「皇室献上桃生産地」といった紙に包まれた木札まで用意し、それを農家に渡していた。