「誰も助けてくれないし、言えば『悪』だと判断される」
自分はここまでひとりで子育てを担ってきたのだから、離婚後は経済的に安定した夫に子どもたちの世話を任せたいと、親権放棄についても繰り返しインターネットで検索した。
子どもがスキンシップをとろうとしてくると、触れられることが苦痛でたまらなかった。家族と離れる方法を探し続けた。
外出先で子どもが「手をつなごう」って、無邪気にしがみついてくるんですけれど、それが正直重いなって。子育てを通して私の中の何かが壊れてしまった気がします。ピキッて、ひびが入って、心がロボットになってしまったと思います。
みんな、「母親の受け皿を作ります」って言っているけど、誰も助けてくれないし、思い切って誰かに言えば「悪」だと判断される。私にとって子どもがいることは足かせとしか思えないです。重りがついて、自由に飛ぶこともできない。羽を取られたという感じです。自分自身も幼い性格で、子育てには向かないと分かりました。もしあのときに戻れるなら、産まない選択をしたいです。
1年後の取材で心境に変化
2022年秋の取材で石川さんと話したときのことは、その後、何人もの母たちに取材を重ねても頭から離れることはなかった。同じ年の12月、「母親の後悔」を扱う番組を放送することを伝える連絡をしたあと、番組の感想や生活の状況をメールでやりとりすることはあったものの、直接話す機会はないまま1年あまりが過ぎていた。
あの時、つらい話をするときにも顔色を変えることなく淡々と話していた石川さんは、今も自分をロボットのようだと感じて、毎日を過ごしているのだろうか。本書を出すにあたって石川さんの話はどうしても聞きたいと感じた。メールを送ると「今でも番組の動画を携帯で見返すことがあります」と返事があった。その後、何度か取材の依頼をすると、再びオンラインで話をする時間をもらうことができた。
2024年1月、画面越しに協力に対して感謝を伝えると、石川さんは「お久しぶりです」とにっこり笑った。取材が始まってからも、石川さんは今の生活の話や世間話をしながら頻繁に笑顔を見せた。その表情から受ける印象は、前回とは全く異なるものだった。この1年で何かあったのかを尋ねると、思いがけないことを明かした。