彰子に追いやられた女御の女房を「老けて見える」とあざ笑った
彰子入内後はほとんど参内できない女御義子の女房で、五節舞姫の付き添いとして久方ぶりに参内した女性に対するなんともひどい悪戯である。
女房生活で意地悪な陰口や嫉妬に嫌気を覚えつつも、他者へは同じ行為をする紫式部たち女房社会の陰湿な側面があらわである。ところが、これを見た義子の父・公季は、彰子からの贈物と勘違いし、筥のふたに銀製の冊子箱を置き、箱の中には舶来品の沈香製の櫛や白銀製の笄などを入れた豪華な返礼や、『蜻蛉日記』作者の兄弟で有名な歌人の藤原長能作の返歌を入れ、賀茂臨時祭使だった(彰子の実弟で道長の五男の)教通に贈ってしまう。
このエピソードについてはすでに多くの研究があり、多様な解釈がなされている。中宮彰子は「扇なども沢山差し上げなさい」と言葉をかけているので、一緒に悪戯をしたのかと驚いたが、紫式部は「これはほんの私事です」と答えており、彰子は事情を知らなかったようである。
皇后定子が遺した敦康親王や一条天皇亡き後の定子兄弟を庇護する彰子の姿からして、本当に悪戯を知らなかったのではないかと推察したい。
1947年生まれ。埼玉学園大学名誉教授。専門は平安時代史、女性史。東京都立大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得退学。文学博士。著書に『家成立史の研究』(校倉書房)、『古代・中世の芸能と買売春』(明石書店)、『平安朝の母と子』『平安朝の女と男』(ともに中公新書)、『藤原彰子』(吉川弘文館)など。