幼少期から憧れた看護師で「手に職」を
「私はおしゃべりですからね」。そんなふうに笑顔ではきはきと切り出す江森さんに、看護師をめざすきっかけを聞いてみた。
江森さんが生まれた頃の80年前の四賀村は、養蚕と米づくりで生計を立てる貧しい農村だった。きょうだいは7人。とても進学する余裕はなかった。
「私は7人きょうだいの4番目だったから、手に職をつけて生きていこうと思っていたの」。憧れは、いつも目にしていたメンソレータムのかわいいリトルナースだ。中学卒業後は、長野県立阿南病院付属準看護学院に入学。看護師としての人生の歩みをスタートする。
当時の准看護婦は、開業医の家に見習い看護師として住み込み、家のことを手伝いながら准看護学校に通うというパターンがほとんどだった。しかし、「私がラッキーだったのは、全寮制の県立病院付属の養成所に入学できたこと。勉強に集中できました」。
不妊宣告を乗り越え、正看護婦学校在学中に2人の娘を妊娠
晴れて准看護師として働くようになり、23歳で結婚。結婚の条件は「働き続けられること」だ。夫となる元春氏とは、「看護師は食いっぱぐれがない」と意気投合。新婚生活がスタートする。しかし、すぐに卵巣嚢腫が発覚。術後、医師からは「子どもはできない」と宣告された。
不妊治療も何度かしたが、「30歳で子どもはあきらめました。その代わり、正看護師になろうと学校に通うことにしたの」。
夫の転勤で赴任していた広島には、准看護婦が正看護婦になるための学校があった。今こそがチャンスだと張り切って受験。入学が決まったときは、うれしくて一番に入学金を収めにいったほどだ。診療所で働きながら夜学で学ぶことは、大きな喜びだった。
うれしいニュースは続く。学校に通い始めて1年。2年生になる春休みに、思いがけない妊娠が発覚する。周囲は、「この妊娠は奇跡だから、学校を辞めるように」とアドバイスするが、江森さんは学業を続けることを選択。
「神様が勉強をしなさいと言ってくれている。だから妊娠できたのだ、って思って、意地でも辞めなかった。出産後、2週間だけ休んで、すぐに学校に戻ったの」
幼子を抱えての通学は大変だったはずだが、そんなことにくじける江森さんではない。なんと、3年生の夏には第2子を妊娠。卒業式では総代として、大きなお腹で壇上に立ったという。
「人生は一度だけ。人間にダメだということはないんですよ。やりたいことはとにかくなんでもやり通さなくちゃ」