日常が輝きを放つ
人は死が近づくとこれまでを振り返り、「自分の人生はこれでよかったのだろうか?」といった問いが浮かぶことがあります。山口さんが海老バーガーを食べた日は、人生の転換点だったのでしょう。それで、生涯でもっともおいしかったものとして海老バーガーを思い出したのではないでしょうか。
自分の生きる意味を探し求めている私も、死が近くなってこれが最後かもしれないと思ったとき、山口さんの梅びしおのように、日常の何気ないものが輝きを放つのではないかと想像します。そして、懐かしい過去にたくさん想いを馳せ、「いろいろなことがあったなあ。失敗もしてきたけど、これでよかったな」と振り返ることができるのではないかと期待しています。会いたい人に感謝を伝えて別れを告げ、体力が許せば思い出の場所を訪れ、そのたびにしみじみと涙を流すのでしょう。
死を意識することから、今日生きていることへの感謝の念が湧きます。人生の第一ステージは、夢、希望など万能感を追い求める段階で、勇ましくて元気な喜びがあります。一方で人生の第二ステージは無常観が根底にあり、そこでは喜びも、しみるような、あるいは悲しみの裏返しのようなかたちなのではないかと思います。
年をとることは恵み
2021年に、作家の岸本葉子さんと対談する機会がありました。岸本さんは2001年、40歳のときに虫垂がんになり、生存率は30パーセントと告げられたそうです。それから20年たち、老いについての著作がベストセラーとなりました。私は「老いと豊かに向き合うにはどうしたらよいでしょうか」と岸本さんに尋ねたのですが、そのときの言葉が印象的でした。
「私にとって、老いること、誕生日を迎えることは恵みなんです。虫垂がんで死について考えた経験があるので、“ああ今年も1年過ごせた”と誕生日のたびに感謝の気持ちが湧いてきます」この言葉を聞いて、私ははっとしました。私のなかではネガティブなイメージがあった老いへの感じ方が少し変わり、温かい気持ちになりました。長生きが当然という前提だと、年を重ねることで人生の残りが減っていく感覚になり、体力が落ちることに喪失感もあるでしょう。一方で、岸本さんは40歳でがんになり、亡くなる可能性のほうが高かったので、このような感謝の気持ちが湧くのだと思います。
作家の芥川龍之介は自殺を意図したのち、友人にあてた遺書のなかで、「ただ自然はこういう僕にはいつもよりも一層美しい。君は自然の美しいのを愛し、しかも自殺しようとする僕の矛盾を笑うであろう。けれども自然の美しいのは僕の末期の目に映るからである」と記しています。
芥川の自殺の理由は「将来に対する唯ぼんやりした不安」だとされていますが、この世と別れると覚悟したら不安はなくなり、別れゆくものに美しさを感じたのではないでしょうか。
自殺を覚悟しなくても、人生の有限性に気づくことができれば、自然が輝いて見えるのではないかと思います。ある意味これは、「死を味方にして生きる」ことと言えるかもしれません。
私自身も、年々自然の見え方が変わってきました。小学校の入学式のときに見た桜は純粋に美しく、子供の私は希望に満ちていました。今年、桜の名所である千鳥ヶ淵を散歩したときには、桜の花は散りはじめたところでした。私にも、いずれこの世との別れが来るだろうとの思いが浮かぶと、しみるような感動が湧きあがり、涙があふれてきました。
「死を味方にして生きる」と突然言われたら、意味がわからず、逆説的に感じるでしょう。
けれど、これまでお伝えしてきたように、死を意識することでいまこのときがいずれ失われると認識し、感謝の気持ちが湧くのです。
それが、人生の第二ステージを豊かにするための大切なカギとなるだろうと、私は確信しています。
1971年生まれ。金沢大学卒業後、都立荏原病院での内科研修、国立精神・神経センター武蔵病院、都立豊島病院での一般精神科研修を経て、2003年、国立がんセンター東病院精神腫瘍科レジデント。以降、一貫してがん患者およびその家族の診療を担当する。2006年より国立がんセンター(現・国立がん研究センター)中央病院精神腫瘍科に勤務。2012年より同病院精神腫瘍科長。2020年4月より公益財団法人がん研究会有明病院腫瘍精神科部長。日本総合病院精神医学会専門医・指導医。日本精神神経学会専門医・指導医。