元内親王から選ばれてきた戦後の祭主

なぜそうした事態が続いたのか。はっきりとした理由が説明されているわけではない。

だが、『日本書紀』に記された伊勢神宮成立の経緯を見ると、はじめ宮中に祀られていた天照大神が疫病を引き起こしたため、天皇から引き離され、遠く伊勢の地に祀られるようになったと述べられている。天皇が天照大神に近づくと災いが起こる。古代の人々には、そうした思いがあったものと推測される。

その代わりに、天皇の娘である内親王や女王が斎王と定められ、現在の三重県多気郡明和町にある斎宮さいくうにおもむき、伊勢神宮に奉仕することとなった。この制度は、南北朝時代まで続く。戦後の祭主は、この斎王の伝統を引き継ぐものと考えられる。

だからこそ現代の祭主は、元内親王から選ばれてきた。戦後最初の祭主は北白川房子で、彼女は明治天皇の第7皇女だった。その次は、昭和天皇の第3皇女、鷹司たかつかさ和子で、それを妹である池田氏が引き継いだのだ。

池田氏の場合、現在でも、神社界の総元締めの役割を果たす神社本庁の総裁である。総裁は完全な名誉職で、神社本庁の実務にたずさわることはなく、その下に統理と総長がもうけられている。池田氏の前に総裁をつとめたのは、やはり北白川房子と鷹司和子であった。

式年遷宮と祭主の重要なかかわり

神社本庁は、戦後に生まれた民間の宗教法人で、その特徴は、伊勢神宮を「本宗」と位置づけたことにある。本宗は、従来の日本語になかった神社本庁の特有の用語だが、皇室の祖先神である天照大神を祀る伊勢神宮を神社界の中心に位置づけようとするものと解釈できる。

G7サミット首脳らが2016年5月26日、日本の伊勢市にある伊勢神宮の正宮の御垣内(神社の中庭)に入る場面
G7サミット首脳らが2016年5月26日、日本の伊勢市にある伊勢神宮の正宮の御垣内(神社の中庭)に入る場面(写真= ピート・ソウザ/PD-USGov-POTUS/Wikimedia Commons

内親王が一般人の男性と結婚し、皇籍を離脱すれば、とくに元皇族としての特別な役割はなくなると考えられているのかもしれない。だが、皇室と密接に関係する伊勢神宮や神社本庁においては、極めて重要な存在となってきたのである。

ここで注目しなければならないのが、祭主と式年遷宮とのかかわりである。黒田氏が、前回の式年遷宮の前年に臨時祭主に就任した点が重要である。

式年遷宮では、社殿が一新される前に、まずは内宮へ参拝するための宇治橋がかけかえられる。池田氏は、2009年の宇治橋渡始式に祭主として臨んでいるが、その時点で78歳だった。しかも、12年には夫と死別している。