広島市とちがって、長崎市の平和宣言は市民の意見も反映
この「原爆を作る人々よ!」という呼びかけの先に、オッペンハイマーがいると言っていいと思う。今春日本で公開されたハリウッドのヒット作『オッペンハイマー』には、広島・長崎の原爆被害の様子が全く描かれていなかった。それについて国内で批判の声が上がっていたが、映画の中では完全に切り捨てられていた被爆者の声を、式典の場で世界に向けて届けた、と言える。
「ロシアのウクライナ侵攻に終わりが見えず、中東での武力紛争の拡大が懸念される中、これまで守られてきた重要な規範が失われるかもしれない。私たちはそんな危機的な事態に直面しているのです」と、イスラエルに対すると取れる文言も盛り込んだ。
「オッペンハイマーに言及を」「イスラエルを名指せ」といった意見は、市民が参加する平和宣言の起草委員会でも出ていた。長崎市は、それをそのまま取り入れたわけではないが、参考にしたとは言えるだろう。重要なのは、長崎では起草委員会で出た内容は逐一報道され、作成過程の見える化が進んでいることだ。
それも広島との大きな違いだ。広島市では、有識者でつくる平和宣言に関する懇談会の内容は非公開。ブラックボックスに入ったままで、市民には知らされず、閉じられている。
ふだんは、広島の陰に隠れた扱いをされることが多い長崎。しかし今回、イスラエルの招待を拒否したことで外圧をかけられながらも、ぶれなかったのはなぜだろう。その一つは、このように市民と親和的であろうとしている長崎市の姿勢にあると思われる。市民の声をバックにしていると、揺るぎにくい。
『長崎の鐘』の著者・永井隆は原爆肯定ともとれる主張をした
もう一つは、広島とは違う、長崎の一筋縄でいかない歴史が関係している。長崎は式典を政治利用しているとエマニュエル大使は非難したが、私に言わせれば、戦後まもない時期から、長崎はずっと政治利用されてきた。たとえば、式典の際に高らかに鳴らされる「長崎の鐘」。長崎で被爆した医師の永井隆が病床で書いた同名の書と同じ名前だ。
永井の『長崎の鐘』は1949年、占領下で出版された。日本軍がマニラで行った住民らへの残虐行為をまとめた『マニラの悲劇』との抱き合わせ出版だった。検閲により原爆報道が自由にできなかった時期に、ベストセラーとなった異例の本だ。
爆心地に近い長崎医科大学で被爆した永井や同僚の救護活動などが記されているが、最後に出てくるのは、次のような永井の主張だ。
「原子爆弾が浦上におちたのは大きな御摂理である。神の恵みである。浦上は神に感謝をささげねばならぬ」
その後、キリスト教徒である永井が息子や娘と、浦上天主堂の鐘の音を聴きながら祈るところで幕を閉じる。