オッペンハイマーの孫と面会した被爆者のコメント
もう一つ、個人対個人の関係の延長線上で考えた場合に起きることについても、例を挙げよう。チャールズ氏が今回広島を訪問した際に、彼と話した被爆者の小倉桂子氏の言葉を、読売新聞が伝えている。
「彼もオッペンハイマーと名乗ることがすごく大変だったと聞いた。私も被爆体験を話すまで何十年もかかった。歴史の一点ではあっても、私たちはお互いにつながっているんだと感じた」
読売新聞オンライン「オッペンハイマーの孫が広島訪問、被爆者に熱心に質問…『核廃絶のステップは各国の対話から』」
長い間苦しんできた加害者側と被害者側の経験に、共通点が出てくることはあるだろう。そうしたつながりを探すことが、対話の糸口になる場合もあるだろう。ただ、小倉氏がチャールズ氏と見て回ったG7広島サミット記念館には、広島にいた人たちが実際に原爆でどんな被害を受けたかを示す写真など、ビジュアルで見せる展示はない。
映画で日本の被爆者の姿が描かれなかったのはなぜか
それは映画『オッペンハイマー』に、広島・長崎の原爆被害の描写がなかったことと、どこか似通っている。もちろんチャールズ氏は小倉氏に被爆体験を聞いているし、記事にはなかったが広島平和記念資料館にも行ったのかもしれない。ただ、翌々日には東京で講演と記者会見の予定があったということなので、あまり時間を置かずに広島を発ってはいる。
小倉氏の背後には、数十万人の被爆者の存在があるのだが、彼らは捨象されて、このように個人レベルの一対一の出会いとして集約されていく。
数十万人に及ぶ人たちの被爆体験とは、被爆の実相とはどのようなものだったのか。それらが加害者側や第三者に対して十分可視化され、共有されないまま「対話」が行われ、「和解」が演出されていくのは、あまりに非対称的だ。
こうした状況の下、加害者が被害者になり代わる逆転現象も起きている。前回の記事で指摘したように、映画の中で原爆による被害者として描かれるのは、広島の被爆者ではなく、原爆開発に携わった当のアメリカ人たちだった。
【参考記事】なぜ被爆した日本人の姿を出さないのか…『オッペンハイマー』高評価とは裏腹に悲しいほど前進のない原爆観
彼らが突然その場で原爆攻撃を受ける様子を、オッペンハイマーが想像するシーンがある。
本来、原爆を作った加害者側である彼らが、被害者として想像されるということ。核抑止の考えに基づくと、うなずける話ではある。攻撃した側が直ちに報復攻撃され被害を受けることが予測されているからだ。
しかしこれは既に、広島・長崎の原爆被害を捨象した上での想定だ。彼らには直ちに反撃する武器などなかったからだ。つまり、広島・長崎の被爆者は既に「考えに入れなくてよい過去の人たち」にされている。