ロシアによる侵攻で多数の市民が殺されたというブチャ。2022年4月、ウクライナが奪還した後、現地へ入ったジャーナリストの佐藤和孝さんは「ロシア軍による虐殺と断定することはまだできないが、ブチャでは銃で殺害されたと見られる家族6人の遺体が重なり合うように倒れている現場を見た。生き残った人たちも生活を破壊された」という――。

※本稿は、佐藤和孝『ウクライナの現場から』(有隣堂)の一部を再編集したものです。

砲塔が吹き飛んだ戦車の残骸(2022.4.4)
撮影=佐藤和孝
砲塔が吹き飛んだ戦車の残骸(2022年4月4日)

首都キーウでも郊外の街が爆撃される音が聞こえた

ウクライナの首都キーウ市内で取材していたころ、1日に4~5回は空襲警報が鳴って、砲声が北や西から聞こえていたし、遠くに曳光弾えいこうだんの光の筋が飛んでいった。ロシア軍とウクライナ軍が激しく戦ったのが、西に30キロほどに位置するキーウ州ブチャである。車で順調に走れば、約30分ほどである。キーウ中心街にまで響いてきていたのは、ブチャやイルピンを含むこうした周辺の交戦地域のものだろう。

人口3万人ほどのこの都市では、「ブチャの虐殺」と呼ばれる住民の大量虐殺があったとされる。「あったとされる」として断言しないのは、ロシア当局が関与を一切否定しているからだ。先に紹介したウクライナ検察の発表も、「410人の民間人の遺体が発見された」としか言っていない。ロシア兵がやったと断定するには、殺人事件でいう「検死」が必要だからだ。

ブチャに入って、私自身も、銃殺されて焼かれた遺体が、袋にも包まれずに放置されているのを目撃した。さらに多数の遺体が埋められていた事実もあり、焼くとか埋めるという行為が虐殺の証拠隠滅のためだとは想像はできる。ただこの文章を書いている現段階でも調査・検証中であり、ロシア軍の仕業と断定することはまだできない。

ブチャと周辺都市で行われた破壊と残虐行為

ブチャに取材で入ると、ウクライナ警察の立ち合いで6人の遺体が重なり合うように倒れている現場を見た。銃で殺害された全員が40代以下の家族だろうという。しかも証拠を隠ぺいするためか、燃やして黒焦げにされているのだ。

住宅の破壊の状態も、これまで見た中でもっともひどい。壁の上半分から屋根までが吹き飛ばされた家から、窓ガラスが割れ、子どもの遊具が家の前に並べられたままの家もある。退避するにしても、よほどあわてて自宅から逃げることになったようだ。

道路には、ロシア軍の焼けただれた戦車の車列が長々と続いていた。街に入らないようにウクライナ軍に食い止められ、破壊されたのだろうか。

生き残った住民たちに話を聞くことができた。