わかりやすい人間ドラマは原爆使用の責任から目をそらさせる

そもそも原爆の問題を、オッペンハイマーとその家族のヒューマン・ストーリーを通して見ること自体が、最初から問題の枠組みを狭めている。たとえ本人と家族が長い間苦しんできたとしても、一個人や一家族の苦難と、何十万人もの人々の大量虐殺は、対比できるような性格のものではない。

またオッペンハイマーに原爆を開発した責任は問えたとしても、市民が密集して住む市街地を標的にして、2回も原爆を使用した責任まで問えるのかどうか。問題はあらかじめ限定されている。

つまり、最初から原爆使用の責任問題を回避したところに、このように個人に焦点を当てたヒューマン・ストーリーが存在している、ということだ。

オッペンハイマー博士、1944年オッペンハイマー博士、1944年
オッペンハイマー博士、1944年(写真=アメリカ合衆国エネルギー省/PD-USGov-DOE/Wikimedia Commons

もちろん、個人という立場から物事を捉えることは重要だ。また、オッペンハイマーがどのような人間で、何を考え、どう科学の難問に取り組み、どう政治的に行動したか、個人的な側面を追求することに興味を持つ人はいるだろうし、その意義もあるだろう。

しかし、オッペンハイマーという個人に焦点を当て、原爆使用の問題性は問おうとしない映画がヒットし、それに関連したことばかり人口に膾炙かいしゃするという一連の流れ自体が、原爆使用の責任から、結果的に目をそらさせる仕掛けとして機能していないだろうか。

いまだにアメリカ人の多くが、原爆使用は正しかったという考えを変えていないのが現実であることが背景にある。

オッペンハイマーが涙を流して謝ったという知られざる物語

こうした中で、個人対個人の関係ばかりに注目する報道の仕方も、考える必要があるのではないか。

ロバート・オッペンハイマーは1964年にアメリカで広島の被爆者と対面した時、涙を流して謝った。通訳をした女性がそのことを証言する映像が広島市で見つかった、とNHKが今年6月に報じている。当時、広島の被爆者運動の中心人物だった物理学者の庄野直美氏らが渡米時にオッペンハイマーに面会したという。庄野氏はマスコミでよくコメントを求められる立場にあった人だが、高校の同窓会誌のようなマイナーな場所でしかそのことを言及しておらず、広く知られることはなかった。

NHK NEWS「オッペンハイマー “涙流し謝った” 通訳証言の映像見つかる」

もともと非公表での面会だったためでもあるだろうが、庄野氏には、ここでオッペンハイマーに個人的に涙と共に謝罪されても、どうしようもないという気持ちがあったのではないだろうか。

それは庄野氏が一人の人間として、オッペンハイマーの心情をどう受け止めたか、ということとは全く別次元のことだ。そうではなく、広島・長崎への原爆使用は、個人レベルの対処で収まるものではなく、そのように矮小化してしまうべきものではないということだ。