「国民の中に入っていく皇室」
この事実を知って、私はただちに昭和時代、まだ浩宮殿下と呼ばれていた頃に、天皇陛下が記者会見でおっしゃっていた内容を思い出した。
「(皇室のあり方についての質問に)一番必要なことは、国民とともにある皇室、国民の中に入っていく皇室であることだと考えます。そのためには、できるだけ多くの日本国民と接する機会を作ることが必要だと思います」(昭和60年[1985年]10月2日、英国留学からご帰国を前に)
当時、陛下はまだ「皇太子」にもなっておられず、25歳というお若さだった。にもかかわらず、すでにあるべき皇室像を明確に描いておられた。やがて「直系の皇嗣」つまり皇太子になられるべきお立場ゆえだろう。
ここで「国民とともにある皇室」をさらに一歩進めて、「国民の中に入っていく皇室」と表現されていたことに、国民に“より深く”寄り添おうとされる天皇陛下のお気持ちが、率直に示されている。
小学生に声をかけられた愛子さま
このような皇室像を、誰よりも間近で深く受け継いでおられるのが、令和で唯一の「皇女」でいらっしゃる敬宮殿下だ。
たとえば、両陛下の穴水町でのサプライズに先立って、敬宮殿下が3月下旬に伊勢神宮と神武天皇陵にお参りされた際に、斎宮歴史博物館に立ち寄られた時の出来事が印象深い。
この時、敬宮殿下は奉迎の人たちの中に幼い小学生たちも加わっていたのを見つけられた。すると即座に、案内の人にあらかじめ確認された上で、その子どもたちにご自身から近寄られて、優しくお声をかけられた。
これもまったく予定になかったご行動で、嬉しいハプニングだった。
敬宮殿下はこのような場面で、ごく自然に天皇・皇后両陛下と同じように振る舞われた。これは平素から「国民の中に」という両陛下のお気持ちに触れてこられたからこそだろう。
なお、斎宮歴史博物館は天皇の未婚の皇女などが“斎王”として伊勢神宮にお仕えした歴史を展示する施設で、ご参拝の途中にここに立ち寄られたのは秋篠宮家の内親王方にはなかったことなので、敬宮殿下が「皇女」というご自身のお立場を自覚して特に選ばれたコースだろう。大学の卒業論文のテーマにやはり皇女だった中世の歌人、式子内親王を選ばれたのも、決して偶然ではなかったはずだ。