先の国会で始まりそうだった、安定的な皇位継承の在り方の本格的な議論は、あっという間に暗礁に乗り上げた。神道学者で皇室研究家の高森明勅さんは「政治の迷走が続いているが、皇位継承の安定化を本気で願うならば、女性天皇を認めて敬宮殿下が次の天皇として即位できるように制度を改正するという選択肢しかない」という――。
上皇ご夫妻の卒寿を祝う音楽会に出席された秋篠宮ご夫妻、愛子さま、佳子さま。2024年7月10日午後、皇居・東御苑の桃華楽堂(代表撮影)
写真提供=共同通信社
上皇ご夫妻の卒寿を祝う音楽会に出席された秋篠宮ご夫妻、愛子さま、佳子さま。2024年7月10日午後、皇居・東御苑の桃華楽堂(代表撮影)

実はシンプルな話のはずなのに

皇位継承の将来をめぐって政治の迷走が続いている。これは、敬宮としのみや(愛子内親王)殿下をはじめとする女性皇族方の人生にも関わる、大切な問題だ。

しかし、普通に考えると至ってシンプルな話ではあるまいか。

ポイントは2つだけ。

1つは、国民の多くが素直に敬愛の気持ちを抱いている天皇・皇后両陛下とのご血縁が最も近く、そのお気持ちをまっすぐに受け継いでおられる方こそ、次の天皇として誰よりもふさわしいということ。

もう1つは、皇位継承の行き詰まりが予想される現在の困難な状況を踏まえ、より安定的な皇位継承を可能にするルールを探るべきこと。それだけだ。

前者に当てはまるのは、言うまでもなく両陛下のご長女、敬宮殿下に他ならない。

殿下が「女性だから」という“だけ”の理由で皇位継承資格を認めない今のルールは、およそ時代錯誤も甚だしい。実際、各種の世論調査でも、現在の皇室典範で排除されている「女性天皇」を認める声が、圧倒的に多い。たとえば共同通信が4月27日に発表した調査結果では90%、毎日新聞が5月19日に発表した調査結果では81%という数字だ。

後者について言えば、一夫一婦制のもとで少子化が進んでいるにもかかわらず、側室制度を前提とした女性天皇排除の「男系男子」限定ルールを、今もなお維持している“ミスマッチ”こそが、皇位継承の不安定化の最大の要因だ。

唯一の突破口は「女性天皇」

したがって、迷路からの出口もシンプル。

国会が国民からの負託に応え、皇室典範を改正して女性天皇を可能にし、敬宮殿下が現在は不在の「皇太子」(=天皇のお子様で皇位継承順位が第1位の皇族)になられ、“次の天皇”として即位される道を拓くこと。それこそが問題解決への唯一の突破口だ。

秋篠宮殿下におかれても、「皇太弟」という、次の天皇であることが確定しているのかのような称号をあえて避けられた。あくまでも“傍系”の皇嗣として、「秋篠宮」の宮号をそのまま維持されている。

この目の前の事実を直視すれば、自ら即位を辞退されるお考えであることは、とても分かりやすいはずだ。そもそも、ご年齢が天皇陛下よりわずかに5歳お若いだけ。なので、客観的にも即位の可能性は想定しにくい。

念のために付け加えると、皇室典範第3条には「皇嗣」の継承順序を変更できることが規定されている。

にもかかわらず、国会を構成する各政党・会派の協議の土台になっている政府提案のプランでは、女性天皇の可能性があらかじめ除外されている。これは不可解だ。

男系男子は日本の伝統ではない

これからの日本において、ことさら「男系男子」に固執しなければならない理由は何か。この点について、残念ながらこれまでに説得力のある根拠が示されたことはない。

「(それが伝統だからそもそも)理由などどうでもよい」(竹田恒泰氏『伝統と革新』創刊号、平成22年[2010年])

「近代以来のモダンな政治の言葉では、どだい説明が出来ないものです。続いてきたという重い事実。そこに根拠があり、有無を言わさぬものがある」(谷口智彦氏『祖国と青年』令和5年[2023年]8月号)

……などなど。

しかし、皇位継承資格を男系男子という狭い条件に限定したのは、「伝統」でも何でもない。明治の皇室典範で初めて、前近代以来の側室制度とセットで採用された、まったく新しいルールにすぎない。

女性天皇は「日本らしさ」の表れ

よく知られているように、前近代には江戸時代まで10代・8方の女性天皇がおられた(2代の天皇は退位後に重ねて即位)。それらの方々を一律に「中継ぎ」などと軽視できないことは、近年の歴史学の研究成果によってすでに明らかになっている(『論点・日本史学』令和4年[2022年]刊など)。

その上、女性天皇と皇族男性の間に生まれたお子様を男性皇族ではなく女性天皇の血筋=女系と位置付け、皇位継承資格も認める法的なルール(「継嗣令」)が存在した。

これらの事実は、「男尊女卑」の風潮が根強かった東アジアの他の国々には見られない、“日本らしさ”の表れと言える。

側室制度あっての男系男子

過去の天皇を振り返ると、その約半数は側室のお子様だった。当たり前ながら、皇后がついに男子に恵まれなかったケースは数多くある。

傍系の宮家でも事情はもちろん同様だった。

それでも「続いてきた」のはなぜか。側室制度の貢献による。だから、もしどうしても「伝統」という言葉を使いたいなら、“側室とセット”で伝統だったと言わねばならない。

しかし改めて言うまでもなく、側室制度はとっくに過去のものになっている。側室なき(非嫡出子・非嫡系子孫の継承資格を認めない)男系男子限定など、今の皇室典範になって“初めて”採用した不安定極まる前代未聞のルールだ。

要するに、皇位継承を行き詰まらせる「男系男子」限定にこだわる理由も根拠もない、ということだ。

二重橋
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ほかに現実的な対案はあるのか

そもそも女性天皇を除外して、いったいどのような手立てによって皇位継承の“安定化”を図るつもりなのか。具体的・現実的な対案はあるのか。

これまでのおもな意見は以下の通り。

「私がベストと思っているのは特別養子縁組。つまり……(旧宮家系の国民男子でもまだ本人に物心がついていない)赤子のうちに縁組を行うことです」(竹田恒泰氏、令和4年[2022年]7月27日のポスト

「愛子内親王殿下と(旧宮家系の)賀陽かや家のご令息とのご縁がよい方向に進んだ暁には……『皇位継承』『皇族数確保』という2つの観点からも、理想的なのです」(八木秀次氏「週刊新潮」令和4年[2022年]3月16日号

「悠仁殿下には……(男子の後継者を確保するために)いっそ学校など行かずに早くご結婚いただくことが何よりに優先事項ではないでしょうか」(倉山満氏『決定版 皇室論』)

まったく現実味がないばかりか、将来における皇位継承の行き詰まりを打開する根本的な対策にもなっていない。そもそも、皇室の方々や旧宮家系男性の人格の尊厳をどう理解しているのだろうか。失礼ながら、ほとんど野蛮としか言いようがない。

当事者の人格を無視したこれらの非人道的な方策が許される余地はあるまい。

結局、女性天皇を排除して男系男子にこだわる理由はない。そのような旧時代的なルールを維持したままで、安定的な皇位継承を可能にする方法もない。

よって、皇位継承の安定化を本気で願うならば道は1つだけ。女性天皇を認めて、“直系長子”でいらっしゃる敬宮殿下が次の天皇として即位できるように制度を改正する、という選択肢しかない。

能登半島地震被災地でのサプライズ

敬宮殿下は、天皇・皇后両陛下が力を合わせて築かれている令和の皇室像を、揺るぎなく受け継いでおられる。そのことを示す事実を紹介しよう。

両陛下は、コロナ禍がひとまず収まると地方へのお出ましを再開され、国民との距離感はより縮まった。特に印象に鮮明な1つは、正月早々に起きた能登半島地震の被災地に、ご自身の負担も顧みられず3月22日と4月12日の2度にわたり、続けてお見舞い下さった事実だろう。

その2回目のお出ましで石川県・穴水町を訪れられた時には、思わぬ出来事もあった。それは、吉村光輝町長のご案内によって、現地の被災状況を視察されていた時のことだ。

深刻な被害の中でも、視察地の近くでたまたま営業を再開していた美容院があった。その美容院では美容師やお客など数人が、手を振って両陛下をお迎えしていた。

その様子に気づかれた天皇陛下は、町長に「声をかけていいですか」とおっしゃって、両陛下お揃いで、わざわざその美容院に立ち寄られた。

これは、まったく予定になかったご行動だった。この時に両陛下をお迎えした人たちは、テレビ局の取材に応えて、興奮を抑えきれないまま、驚きと感激を語っていた。

最高のサプライズだったに違いない。

「国民の中に入っていく皇室」

この事実を知って、私はただちに昭和時代、まだ浩宮ひろのみや殿下と呼ばれていた頃に、天皇陛下が記者会見でおっしゃっていた内容を思い出した。

「(皇室のあり方についての質問に)一番必要なことは、国民とともにある皇室、国民の中に入っていく皇室であることだと考えます。そのためには、できるだけ多くの日本国民と接する機会を作ることが必要だと思います」(昭和60年[1985年]10月2日、英国留学からご帰国を前に)

当時、陛下はまだ「皇太子」にもなっておられず、25歳というお若さだった。にもかかわらず、すでにあるべき皇室像を明確に描いておられた。やがて「直系の皇嗣」つまり皇太子になられるべきお立場ゆえだろう。

ここで「国民とともにある皇室」をさらに一歩進めて、「国民の中に入っていく皇室」と表現されていたことに、国民に“より深く”寄り添おうとされる天皇陛下のお気持ちが、率直に示されている。

小学生に声をかけられた愛子さま

このような皇室像を、誰よりも間近で深く受け継いでおられるのが、令和で唯一の「皇女」でいらっしゃる敬宮殿下だ。

たとえば、両陛下の穴水町でのサプライズに先立って、敬宮殿下が3月下旬に伊勢神宮と神武天皇陵にお参りされた際に、斎宮歴史博物館に立ち寄られた時の出来事が印象深い。

この時、敬宮殿下は奉迎の人たちの中に幼い小学生たちも加わっていたのを見つけられた。すると即座に、案内の人にあらかじめ確認された上で、その子どもたちにご自身から近寄られて、優しくお声をかけられた。

これもまったく予定になかったご行動で、嬉しいハプニングだった。

敬宮殿下はこのような場面で、ごく自然に天皇・皇后両陛下と同じように振る舞われた。これは平素から「国民の中に」という両陛下のお気持ちに触れてこられたからこそだろう。

なお、斎宮歴史博物館は天皇の未婚の皇女などが“斎王さいおう”として伊勢神宮にお仕えした歴史を展示する施設で、ご参拝の途中にここに立ち寄られたのは秋篠宮家の内親王方にはなかったことなので、敬宮殿下が「皇女」というご自身のお立場を自覚して特に選ばれたコースだろう。大学の卒業論文のテーマにやはり皇女だった中世の歌人、式子しょくし内親王を選ばれたのも、決して偶然ではなかったはずだ。

天皇ご一家の「黙祷」

また別に、見逃されがちな事実もある。

天皇陛下は東日本大震災(平成23年[2011年])が起こった翌年から、震災が発生した「3月11日」に“皇太子”として黙祷を捧げてこられた。悲しみを胸に刻み、亡くなられた方々を追悼され、国民の思いにご自身のお気持ちを重ねられるためだろう。

この時は、皇太子妃であられた皇后陛下と敬宮殿下もご一緒に黙祷をされる。それを現在まで続けてこられている。

一方、秋篠宮殿下におかれては、時代が令和に移り、皇位継承順位が第一位の「皇嗣」になられてからも、この日にご家族で黙祷を行われているという事実は公表されていない。

秋篠宮殿下の場合、現時点で継承順位が第一位という点では皇太子と共通するものの、“傍系”の皇嗣なので必ず次の天皇として即位されることが確定しているわけではない、という違いがある。このような黙祷の有無は、おそらくそうしたお立場の違いによるものだろう。

あるいは、先ごろ天皇・皇后両陛下が英国に国賓として訪れられた際、その2日目が先の大戦において沖縄での組織的な戦闘が終結した悲しみの日「6月23日」と重なっていた。この日に両陛下は例年、黙祷を続けてこられている。今年も現地において、特別なスケジュールの中でも、いつも通り黙祷をされた。

同じ日、敬宮殿下もお一人で御所にて黙祷を捧げておられる。その時、両陛下と殿下は遠い距離を越えて、1つの思いで結ばれていたはずだ。

愛子さまの前向きな覚悟

さらに敬宮殿下は、日本赤十字社へのご就職にあたり記者の質問への文書回答の中で、以下のように述べておられた。

「私は、天皇皇后両陛下や上皇上皇后両陛下をはじめ、皇室の皆様が、国民に寄り添われながらご公務に取り組んでいらっしゃるお姿をこれまでお側で拝見しながら、皇室の役目の基本は『国民と苦楽を共にしながら務めを果たす』ことであり、それはすなわち『困難な道を歩まれている方々に心を寄せる』ことでもあると認識するに至りました」。

殿下はここで「国民と苦楽を共にしながら……」をさらに一歩深められて、「困難な道を歩まれている方々に心を寄せる」というご自身の皇室像を示されている。かつて若き日の天皇陛下が、「国民とともにある皇室」から「国民の中に入っていく皇室」へと自らの皇室像を掘り下げられたのを想起させる。

進んで「皇室の役目」を背負おうとされる、敬宮殿下の前向きなご覚悟が伝わる。

敬宮殿下こそ次の天皇に最もふさわしい、と受け止めている国民は多い。それは、皇位継承の安定化のために欠かせない第一歩でもある。

このことを現実化するために必要なのは何か。「女性天皇」を可能にする皇室典範の改正だ。このところ国民から不信の目を向けられがちな国会は、新しい時代を切り開くために、今こそ勇気ある決断が求められている。