男系男子は日本の伝統ではない

これからの日本において、ことさら「男系男子」に固執しなければならない理由は何か。この点について、残念ながらこれまでに説得力のある根拠が示されたことはない。

「(それが伝統だからそもそも)理由などどうでもよい」(竹田恒泰氏『伝統と革新』創刊号、平成22年[2010年])

「近代以来のモダンな政治の言葉では、どだい説明が出来ないものです。続いてきたという重い事実。そこに根拠があり、有無を言わさぬものがある」(谷口智彦氏『祖国と青年』令和5年[2023年]8月号)

……などなど。

しかし、皇位継承資格を男系男子という狭い条件に限定したのは、「伝統」でも何でもない。明治の皇室典範で初めて、前近代以来の側室制度とセットで採用された、まったく新しいルールにすぎない。

女性天皇は「日本らしさ」の表れ

よく知られているように、前近代には江戸時代まで10代・8方の女性天皇がおられた(2代の天皇は退位後に重ねて即位)。それらの方々を一律に「中継ぎ」などと軽視できないことは、近年の歴史学の研究成果によってすでに明らかになっている(『論点・日本史学』令和4年[2022年]刊など)。

その上、女性天皇と皇族男性の間に生まれたお子様を男性皇族ではなく女性天皇の血筋=女系と位置付け、皇位継承資格も認める法的なルール(「継嗣令」)が存在した。

これらの事実は、「男尊女卑」の風潮が根強かった東アジアの他の国々には見られない、“日本らしさ”の表れと言える。

側室制度あっての男系男子

過去の天皇を振り返ると、その約半数は側室のお子様だった。当たり前ながら、皇后がついに男子に恵まれなかったケースは数多くある。

傍系の宮家でも事情はもちろん同様だった。

それでも「続いてきた」のはなぜか。側室制度の貢献による。だから、もしどうしても「伝統」という言葉を使いたいなら、“側室とセット”で伝統だったと言わねばならない。

しかし改めて言うまでもなく、側室制度はとっくに過去のものになっている。側室なき(非嫡出子・非嫡系子孫の継承資格を認めない)男系男子限定など、今の皇室典範になって“初めて”採用した不安定極まる前代未聞のルールだ。

要するに、皇位継承を行き詰まらせる「男系男子」限定にこだわる理由も根拠もない、ということだ。

二重橋
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