「創るけど、支配せず」の渋沢にとって株式会社は理想的

つまり、渋沢家が持株会社(渋沢同族、有終会)のほぼ全額を出資し、持株会社が第一銀行と東京石川島造船所の株式を過半数所有していれば、渋沢財閥が完成する――のだが、実際にはそうなっていない。持株会社を含め、渋沢系で第一銀行の株式の6.4%しか所有していないし、東京石川島造船所の株式も5.7%しか所有していないのだ。だから、財閥とはいえない。

先に渋沢財閥の持株会社として、渋沢同族と有終会を紹介したのだが、実際のところ、渋沢同族は渋沢家の資産管理会社。有終会は第一銀行行員の福利厚生機関でしかなかったようだ。

渋沢栄一はあんなにも多くの会社をつくったのに、なぜそれらを自分の支配下に置かなかったのか。

栄一は渡欧経験があり、西洋文明のすばらしさを身をもって感じていた。それを日本にも広めたい。その思いが強かったこともあろうが、それ以上に新しい産業・会社を興すことが好きだったのだろう。性格的な問題だ。ものを創ること自体に喜びを見出すような人物は、できたものの維持運営には往々にして興味がない。

栄一もご多分に漏れず、設立した会社で金儲けすることには、あまり興味がなかったらしい。それらの会社を自らの支配下に置き続けるには、株式を保有し続けることが必要だが、栄一はそれを売却して資金を用立て、次の会社を設立する原資とした。

できたものを維持運営するカネがあるなら、それで新しい事業を興したい。できた会社を支配するつもりがないから、出資は最低限でいい。残りのカネは合本がっぽん(株式会社方式で広く出資を募る)で集めよう! 株式会社は栄一の理想に極めて合致したビジネス・システムだったのである。

【図表1】渋沢栄一とその一族関連企業の株主構造