「女であるからといって特別扱いはしません」と言った裁判官
彼女が尊敬した裁判長とは、近藤完爾であった。
近藤は、当時をこう書いている。
(和田さんには)先駆者に間々みられる気負いも、その反対の甘えも全然感じられず、極めて自然に明るくのびのびと仕事に打ち込まれ新しい経験の吸収に熱心であった。(中略)だから裁判官室はいつも明るく活き活きとして、思ったことは何でも言える雰囲気に包まれていた。(中略)
こうして三淵さんは急速に裁判所に馴染まれたので、(中略)単独事件にも大きく力を注ぐことになった。そちらでは、お手並拝見的な、いわれのない偏見に遭遇したこともあるらしいが、三淵さんがそれを歯牙にもかけず常に毅然としておられたのには敬服した」(『追想のひと三淵嘉子』)
酔った男性裁判官を背負い「男をかついだ」
あるとき、東京地方裁判所で新しい裁判官の歓迎会があった。新人の裁判官の中に、井口牧郎がいた。彼はこう書いている。昭和25年(1950年)頃のことである。
「まだまだ物資窮乏のさ中、歓迎会といってもさほどの御馳走があろうはずもなく、(中略)この日の飲物になぜか私一人おかしな酔い方をし、冷や汗は流れるし、裸電球がまばゆく黄色の光を放ち始める始末で、散会した後に至っても腰が立たなくなってしまった。(中略)先輩方は三々五々帰って行かれ、足腰の自由を失いかけた私が大いに困ったのは言うまでもない。この時助けていただいたのが他ならぬ三淵先輩だったのである。
(中略)三淵さんが、伸ばして下さった救いの手がいとも自然なものであったことは確かであるとして、(中略)庁舎を出て日比谷公園を横切り、日比谷交差点近くまで、ほとんど三淵さんに背負われるような格好で、連れて行っていただくことになってしまった。笑い事ではとても済まされないのであるが、格別にひょろ長な身長の私が恐らくはだらりと力ない姿勢で三淵さんの背につかまっているのだから、他人様から見れば例の落語の「らくだ」の歩く姿そのものであったのではなかろうか。(中略)
三淵さんのこよなく暖かいいたわりのお気持ちと、背のぬくもりが微妙に溶け合って、私には忘れようにも忘れられない思い出として残っている」(同書)
筆者は、このエピソードに感心した。もし、私が酔って動けない後輩に気がついたらどうするか。知らん顔はしないだろう。しかし、きっと帰りかけている男性たちを呼び止めて、何人かに、酔った人を連れて行ってもらうに違いない。自分で男性をかつぎはしまい。彼女の行為は、並の女性にはできないことである。