世にいう「勝ち組」「負け組」とは
つい最近まで、あいつは「勝ち組」だとか、自分は「負け組」だ(こんな自分に誰がした)というような会話をしばしば耳にしました。そして、その多くは、私をいつも著しく不愉快にしました。
そもそも、人生は勝ったり負けたりするものではありません。「勝ち負け」ははっきりとした一つの「結果」ですが、人生は「結果」ではないし、誰にとってもいつまでもはっきりした評価のできないものです。
今生きていることの価値は、人それぞれが感じることであり、他人がとやかくいうものではありませんし、将来のことは誰もわかりません。
世にいう「勝ち組」とはどういう人たちでしょうか?
まず運よく「親ガチャ」に当たり、子供時代を不自由なく過ごし、良い塾にも通えて、大学受験がうまくいき、一流とみなされる大学が卒業できたので、結果として一流とみなされる会社や官公庁(昔と様変わりで最近は人気低迷ですが)に正規雇用で就職でき、年収が高く、会社が倒産するリスクも少ないので、望んだ結婚相手に受け入れられる可能性も高い。
これに対して「負け組」は全てに正反対で、色々な理由が重なって、就職できたのは先行きの怪しい企業だったり、親会社から見下される関連企業だったり、下請けのまた下請けの孫請けで糊口を凌ぐ零細企業だったり、果ては毎日理不尽がまかり通るブラック企業であったりします。
確かにこの差は大きいですね。しかし、これは勝ったか負けたかの問題ではなく、とりあえず、少し運が良かったか悪かったかだけの問題です。
学歴は生きる価値を高めない
世界で一番重要なのは、もちろん「自分」です。
「生きる価値」はもちろん自分で決めるものです。
人にとやかく言ってもらうのはご免被りましょう。ましてや、人のことを「負け組」などと呼んで蔑む連中など、眼中におく必要もありません。
まず「勝ち組」と「負け組」を分けたい人が一番重視するのは「学歴」のようですが、これは「生きる価値」を高める上では、多くの人が考えているほどの大きなファクターにはなりません。
なるほど、多くの企業では採用に関して学歴を重視します。ほとんどの企業では、採用した各人が大学で履修したことなどはほとんど当てにしていませんが、応募者が一流大学を卒業していれば、第一に「地頭は悪くないはず」という安心感があり、第二に、バカバカしい程の受験勉強にも耐えたということは「将来のことを考える常識を備え、忍耐力もある」という証左なので、安心して採用できるのです。
しかし、それだけのことです。あとは全て入社後の実績次第です。