上も下も桁外れの人たちに出会う
定年のおかげでこれまでの仕事に一区切りがついて、新しい仕事に挑戦することの利点は色々ありますが、まずは収入にあまりこだわらないで済むということでしょう。
それまでは、収入が減ると自分の何かが否定されたように感じて、がっかりしていたかもしれませんが、定年後は、ゼロだったかもしれない収入が多少はあるだけでも、少し嬉しく感じるでしょう。
その収入がかなりの額になれば、時折はこれまでは諦めていたような、ちょっとした贅沢を楽しむこともできるようになり、それが日本経済に大いに貢献することにもなります。
そして、もしかしたらそれ以上に大きい魅力は、「誰かと競い合わないでも良い」ことかもしれません。
会社勤めをしていると、同輩や後輩が受けている処遇と自分への処遇を比較して、何かと苛立つこともあるでしょうが、こういう感情と無縁になれることは、何とも素晴らしいことです。
大体において似たような境遇の人が周りに多かったサラリーマン時代とは異なり、全く違った仕事をしてみると、上も下も桁外れの人たちがうじゃうじゃいます。「え? 世の中の人ってこんなにバカばっかりなの?」と思うこともあるでしょうし、逆に、周りの人の幾人かの、あまりの能力の高さに舌を巻いて、恐れ入ることもあるかもしれません。
実社会の名脇役になる楽しみ
そうした新しい環境の中で、私が多くの人にお勧めしたいのは、「脇役」の楽しみを知ることです。
現状を大雑把に見ていると、高齢でなお社会的に大きな存在感を持っている人の多くは、「権力者」、具体的にいえば、政治家とか、あるいは個人企業のワンマン社長とかいった人たちでしょうが、もっと丁寧に見ていくと、「脇役」のような立場で、余人には代えられないような存在感を示している人たちも、結構数多くいます。
映画や演劇の世界でも「名脇役」は常に欠かせませんが、実社会でもおそらく同じような力学は働いているのでしょう。こういう人たちの多くは、「瑣末なことにこだわらない飄々たる雰囲気」を持っていることが多く、一緒にいるだけで心が和みます。
このような人たちの特徴は、一言で言えば、「能力」だけを自分自身の拠り所にして、「権力」にはこだわらない、言い換えれば、「物事を実際に動かすのは、誰か権力を持っている人がやればいい」と割り切っているかのようなところです。
確かに、「権力」に無頓着になれば、この世の中はかなり生きやすくなりそうです。「能力」を競い合うのも、それはそれなりにかなり大変ですが、「権力」を競い合うよりはずっと楽です。
「権力」を競い合って敗れれば、自分の全てが一挙に否定されてしまいますが、「能力」なら、たとえどこかで負けることがあっても、また別の場所に機会があるはずだからです。
どこかで通用する「能力」さえ持っていれば、「捨てる神あれば拾う神あり」「待てば海路の日和あり」で、胸を張って生きていける場所が、必ずあると思います。
1939年、東京生まれ。京都大学法学部卒業。伊藤忠商事、クアルコム、ソフトバンクモバイルで通算51年間勤務。その後7年間は海外で仕事をした後、日本全国のレーダー施設で取得した海面情報を様々な需要家に提供するORNIS株式会社を82歳で創業。著書に『AIが神になる日 シンギュラリティーが人類を救う』(SBクリエイティブ)、『2022年 地軸大変動』(早川書房)など。