女性はまだ裁判官になれなかったが、司法省でのキャリアを開始

嘉子は昭和22年(1947年)6月30日、司法省の民事部に勤め始める。「司法調査室」で仕事をした。彼女は次のように書いている。

「戦中戦後にかけて、家族を食べさすことに追われ、百姓仕事に没頭していた私は、町に降りて来た山猿のように何も分からず、与えられた机の前に座って周囲の人々の目まぐるしい動きをあっけにとられて眺めている有様でした。

当時、民法調査室は(中略)、民法の改正法案についてGHQと審議を続ける一方、家事審判法案作成作業中だったと思います。

すでにでき上がっていた民法の改正案を読んだときは、女性が家の鎖から解き放され自由な人間として、スックと立ち上がったような思いがして、息をんだものです。始めて民法の講義を聴いたとき、法律上の女性の地位のあまりにも惨めなのを知って、地駄んだ踏んで口惜しがっただけに、何の努力もしないでこんなすばらしい民法ができることが夢のようでもあり、また一方、余りにも男女が平等であるために、女性にとって厳しい自覚と責任が要求されるであろうに、果たして、現実の日本の女性がそれに応えられるだろうかと、おそれにも似た気持ちを持ったものです」(「婦人法律家協会会報」17号)

佐賀 千惠美(さが・ちえみ)
弁護士

1952年、熊本県生まれ。1977年、司法試験に合格。1978年、東京大学法学部卒業。最高裁判所司法修習所入所。1980年、東京地方検察庁の検事に任官。1981年、同退官。1986年、京都弁護士会に登録。2001年、京都府地方労働委員会会長に就任、佐賀千惠美法律事務所を開設。著書に著書に『刑事訴訟法 暗記する意義・要件・効果』(早稲田経営出版)、『三淵嘉子・中田正子・久米愛 日本初の女性法律家たち』(日本評論社、2023年)、『三淵嘉子の生涯~人生を羽ばたいた“トラママ”』(内外出版社、2024年)