同時多発テロが起きたとき、再保険でつぶれた会社がある

2001年9月11日、アメリカ合衆国で同時多発テロが勃発。2機の旅客機がワールドトレードセンター(世界貿易センタービル)に激突した。

この旅客機も当然保険に入っていた。そして、その莫大な保険金を捻出すべく、A社からB社、B社からさらにC社に再保険がかけられていた。そのお鉢は、遠く日本の損害保険会社にもまわってきた。そして、千代田火災海上保険、日産火災海上保険、大成火災海上保険の3社は、引き受けた再保険をさらに米国の再保険エージェントであるフォーレスト・リー社に出再した。

ところが、このフォーレスト・リー社がちゃんと再保険を処理していなかったのである。フォーレスト・リー社は経営破綻。本来、フォーレスト・リー社から保険金に充当する資金が調達できなくなったため、3社には莫大な損失が発生。

ちょうどその頃、日本はメガ損保再編の時期で、千代田火災海上保険は大東京火災海上保険との合併を控えており(あいおい損害保険)、日産火災海上保険と大成火災海上保険は安田火災海上保険との合併を控えていた(損害保険ジャパン)ので、合併交渉で不利な状況に立たされた。

のみならず、大成火災海上保険はこの事件で経営破綻。つまり、つぶれてしまったのだ。同社は幸いにも安田火災海上保険・日産火災海上保険と合併することが決まっていたため、事実上、両社によって救済合併された(実際には、まず両社が合併して損害保険ジャパンとなり、その後に大成火災海上保険の資産を同社に包括移転した)。

2001年11月22日、東京地裁に更正特例法適用を申請した大成火災海上保険の小沢一郎社長(中央)(東京・日銀記者クラブ)
写真=時事通信フォト
2001年11月22日、東京地裁に更正特例法適用を申請した大成火災海上保険の小沢一郎社長(中央)(東京・日銀記者クラブ)

それでも損害保険会社の破綻はなぜ少ないのか?

バブル崩壊後、1990年代後半から日本では生命保険会社がバタバタと経営破綻したが、損害保険会社で経営破綻したのは、2001年11月に破綻した大成火災海上保険と、2000年5月に破綻した第一火災海上保険だけである。

なぜ、生命保険会社の経営破綻が多く、損害保険会社が少なかったのか。それは生命保険契約と損害保険契約の特徴の違いに起因する。

生命保険契約は保険期間が長く、バブル経済期(1980年代中盤から1990年代前半)に販売した高利回りの商品が、低金利時代に「逆ざや」となって経営を圧迫した。これに対し、損害保険契約は基本1年満期なので、商品改定が容易だった。

また、損害保険会社は災害時に巨額な保険金が発生するため、資産運用は短期間で回収できる手段を多く使った。これに対して、生命保険会社は保険契約が長期にわたるため、長期間資金を寝かせておくことが可能なので、不動産投資に積極的だった。これがバブル崩壊で経営をより不安定にした。

先に述べた破綻した第一火災海上保険は、損害保険会社の中でも積立保険契約に注力した会社だった。積立保険は短いもので3年、長いものでは20年くらいで満期を迎える。そのため、経営スタンスが生命保険会社に似ていたのだ。