好かれたら「好き」を惜しみなくあげる

愛情でも友情でも、好きの度合いが互いに同レベルなら問題ないけれど、たいていはどちらか一方が相手よりもっと「好き」なわけで。だからどうしても「好き」の度合いが弱いほうの人は、「好き」がより強いほうの人の愛情表現に慣れっこになる傾向にある。それが当たり前だと思うほど、相手のことを雑に扱い出す。そのうち、相手の「好き」という感情を利用するようにもなる。そんな無礼でゲスなことはない。

心からお互いのことを好きでいられる関係なんて、簡単に経験できるものじゃない。

それくらい貴重な気持ちなのだから、ありがたく思い大切にすべきだ。

「好き」という気持ちは、好きな人に対して惜しみなくあげたいもの。

そんな真心につけ込むなんて、決してあってはならないのだ。

シーソーの上のハート
写真=iStock.com/pepifoto
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最低限のマナーを破れば永遠にひとりぼっち

一度枯れてしまった心のリカバリーはやっかいだ。花だって、しおれただけなら水をやれば元気になるけれど、完全に枯れてしまったなら、どんなに手を施しても復活は難しい。

心も同じだ。離れてしまった心にいくら訴えかけても元通りにならない。そのときになって愛情を示しても、言葉遣いに気を付けても、連絡をマメにしても時すでに遅しだ。

どんなに過去のよかったときを引き合いに出しても、単なるまぶしかった思い出に過ぎない。人の心とはそれほどまでに繊細なもの。だから、できるときに誠実であるべきなのだ。何もやたらめったらに尽くせって意味じゃない。ちょっと気に掛けてあげるだけでいい。

キム・ダスル 著/岡崎暢子 訳『人生は「気分」が10割 最高の一日が一生続く106の習慣』(ダイヤモンド社)
キム・ダスル 著/岡崎暢子 訳『人生は「気分」が10割 最高の一日が一生続く106の習慣』(ダイヤモンド社)

相手の心を枯れさせてしまうのは、その“ちょっと”さえできなかったときだ。そのくせ、自分のことを棚に上げて「あいつとは付き合いにくい」と言い訳したりする。こういうのは付き合いにくいんじゃなく、言った本人が人間関係をあまりに軽々しく考えて生きてきた結果だ。

どうして自分ひとりだけが楽をしようとして、人付き合いをめんどくさがるのか。

自分は何もしないくせに相手が気を遣ってくれることを望むなんて、単なるわがままにすぎない。

相手にイヤな思いをさせないためには、自分が引くべきときもそれなりにある。人間関係の最低限のマナーも守れないようじゃ、永遠のひとりぼっち確定じゃないか?

キム・ダスル
作家、作詞家、コピーライター

作詞家としてデビュー後、多数の企業でコピーライターとして活躍。現在はInstagramを中心に人生に関するエッセイを連載中。韓国で2022年全体1位のベストセラーを記録したエッセイが『人生は「気分」が10割 最高の一日が一生続く106の習慣』(ダイヤモンド社)。ほかの著書に『誤解されても放っておく』(三笠書房)がある。

岡崎 暢子(おかざき・のぶこ)
韓日翻訳・編集者

1973年生まれ。出版社はじめ各種メディアで韓日翻訳に携わる。訳書に『あやうく一生懸命生きるところだった』『どうかご自愛ください』『教養としての「ラテン語の授業」』(以上ダイヤモンド社)、『頑張りすぎずに、気楽に』(ワニブックス)、『K-POP時代を航海するコンサート演出記』(小学館)など。編集書に『小学生が知っておきたいからだの話(男の子編女の子編)』(アルク)などがある。