若い世代のために「自己犠牲をするアジア人」から脱するべき

私がアメリカの大学で教えていた時、アジア系アメリカ人やアジア人の女子学生がクラスにたくさんいた。教室では彼女たちは活発で、白人や黒人やヒスパニック系などの学生たちに交じり、それぞれ自分の個性と性格に基づいて、思い思いに行動していた。彼女たちが教室を出て社会に入っていった時、アジア人女性というカテゴリーに押し込められ、自己犠牲の名の下に、自分より白人女性を優先するのが良いことであるかのような経験はしてほしくない。

ミシェル・ヨーは既に、アジア人初のアカデミー主演賞受賞という偉業を成し遂げた。それは、これまで他の誰にもできなかったことだ。多くのプレッシャーの中でそこまで達成した彼女に、全てを求めるのは酷なことでもある。

だから、彼女が到達してくれたところから、今後さらに私たちがバトンを引き継げばいいということだ。アジア人が白人社会で、きちんとリスペクトを払われるようにするため、私たち一人ひとりがもっと働きかけていくことが、アジア人と白人、またその他の非白人の人々のためにもなることだと思う。

柴田 優呼(しばた・ゆうこ)
アカデミック・ジャーナリスト

コーネル大学Ph. D.。90年代前半まで全国紙記者。以後海外に住み、米国、NZ、豪州で大学教員を務め、コロナ前に帰国。日本記者クラブ会員。香港、台湾、シンガポール、フィリピン、英国などにも居住経験あり。『プロデュースされた〈被爆者〉たち』(岩波書店)、『Producing Hiroshima and Nagasaki』(University of Hawaii Press)、『“ヒロシマ・ナガサキ” 被爆神話を解体する』(作品社)など、学術及びジャーナリスティックな分野で、英語と日本語の著作物を出版。