透析治療を受けながら撮影
山田さんは週に3回通院し、4時間かかる透析治療を受けながら撮影を続けた。「撮影が終わったら疲れ果てちゃった」。それでも、完成後は日本各地での上映会に足を運ぶ。
前作『われ弱ければ 矢嶋楫子伝』は全国204カ所で上映し、そのほとんどで舞台挨拶に立った。『わたしのかあさん』の撮影が始まる前も、1カ月のうちに北海道に2回行き、神戸、宮城も訪れた。午前中に透析を受けて午後に移動することもあり、事務所のスタッフも「本当に信じられない体力」と話す。
山田さんが各地に赴くのは少しでもお金を集め、映画製作の借金を返すためだ。常に金策のことが頭にあり、「死んだら派手に書きまくって、たくさん香典をもらいなさいと言ってるの」と笑う。
長女の美樹さんは「天使」
今作には、山田さんが美樹さんを育てるときに経験したエピソードを盛り込んだ。たとえば、障害のある母親の子ども時代の話として出てくるシーン。雨の日に傘をさして親子で歩いていると、通り過ぎる車が勢いよく泥をはねあげ、娘の白いワンピースが汚れてしまう。「ばかやろーっ」と怒る母親に、娘が「ばかじゃないんです。おりこうなんです」と言う。
実際に美樹さんは誰にでも親切で、山田さんは「天使」と表現する。
美樹さんが養護学校に通っていた頃は、いつも学校から帰ると事務所で過ごしていた。当時の社員はみな「美樹ちゃんが事務所に帰ってくるのが待ち遠しかった。イライラしているときに、美樹ちゃんの存在がどんなに心をうるおしてくれたか」と懐かしむという。
いま、美樹さんは施設で暮らす。人を疑わず、誰かと比較することもない美樹さんと人生を歩んできて、山田さんはこう思うようになった。「『うちの子はこんなにできるのよ』と威張りたいから沈むんじゃないか」。そもそも優越感を持とうとしなければ劣等感も生まれない――。
「大根の値段」だけにならないで
次に撮りたいと考えているのは、明治から昭和にかけて生きた社会運動家、賀川ハルの物語だ。強く生きた女性たちの姿を描き続けるのは、現代を生きる女性たちへのメッセージでもある。「『大根を買うならこちらの店のほうが安い』と走る人も多いけど、それだけにならないで。日本の平和とか、自分の行く道も考えてください」
山田さんはいまも生まれ育った東京・新宿区内で一人暮らしをしている。外出時は車椅子を使うが、普段はできるだけ自分の足で歩く。「最後は高いびきをかいて、いびきが止まって『おかしいな』と見に行ったら死んでたっていうのが極楽だよ。これがやりたいね」
京都生まれ。小学生の3年間をペルーで過ごす。大学院修了後に半年間バックパッカーで海外をめぐった後、2006年に朝日新聞社入社。青森総局、東京社会部、文化くらし報道部などを経て2023年に退社。関わった書籍は『「小さないのち」を守る』『Dear Girls』『平成家族』『調理科学でもっとおいしく定番料理』(いずれも朝日新聞出版)。ヨガインストラクターとしても活動。