世界最古の国際人道基金

明治21年(1888年)8月の福島県磐梯山ばんだいさん噴火を契機として、昭憲皇太后の思召おぼしめしにより日赤は戦時のみならず平時の災害救護活動も行うようになった。

明治24年(1891年)、皇室から寄付された東京渋谷村の南豊島みなみとしま御料地に日赤中央病院が完成した。その建設資金の10万円も皇室から与えられていた。

翌年6月の開院式には昭憲皇太后の行啓ぎょうけいを仰いでいる。

明治45年(1912年)5月、アメリカのワシントンで開かれた赤十字国際会議に際して、平時の救護事業を奨励するため、昭憲皇太后から10万円が寄付された。現在の貨幣価値に換算すると、約3億5000万円にも達する。

昭憲皇太后から寄付された資金をもとに「昭憲皇太后基金」が創設され、毎年のご命日(4月11日)には今も基金の利息が世界各国の赤十字社へ配分されている。

これは世界最古の国際人道基金とされ、現在に至るまで、171の国と地域の災害対策、保健衛生、血液事業などに約23億円相当が役立てられているという。

日赤を選ばれたことの深い必然性

このように、日赤はその設立当初から皇室の大きな庇護の下に活動を続けてきている。

そのほか、三笠宮家のご長女・甯子やすこさまのご結婚相手だった近衛忠煇ただてる氏が日赤の名誉社長であったとか、寛仁親王家のご次女の瑤子女王殿下が日赤で嘱託ながら常勤で6年ほど勤務されていたような関わりもあった。

そうした経緯を振り返ると、「人を敬い、人からも敬われ、人を愛し、人からも愛される、そのように育ってほしい」(平成14年[2002年]のお誕生日に際しての今上陛下の記者会見)という両陛下の願いを背負ってこられた敬宮殿下が、「博愛」の理念を掲げ災害救護や医療・福祉などに取り組む、日赤での勤務という進路を選ばれたことは、深い必然性があったと言えるだろう。

災害ボランティアへの関心

そもそも、敬宮殿下は成年を迎えられた際の記者会見で以下のように述べておられた。

「国内外の関心事につきましては、近年自然災害が増え、また、その規模も徐々に大きくなってきていることを心配しています。そのような中で、ボランティアとして被災地で活躍されている方々の様子をテレビなどの報道で目にしまして、自分の住んでいる街であるとかないとか関係なく、人の役に立とうと懸命に活動されている姿に非常に感銘を受けました。……私自身、災害ボランティアなどのボランティアにも関心を持っております」と。

このようなご関心の在り方は、もちろん日赤の活動に真っ直ぐつながる。