小説「看護師の愛子」で描かれた“初志”
しかも、ここで見落としてはならない事実がある。それは学習院女子中等科1年の時(平成27年[2015年])に「看護師の愛子」というファンタジー短編小説を書いておられたことだ。
この小説は「私は看護師の愛子」という一文から始まる。そして、主人公の「愛子」が海に浮かんだ診療所で1人、けがをしたカモメやペンギンなど海の生き物たちに対して「精一杯の看護をし」、やがて「海の生き物たちの生きる活力となっていった」物語を描く。なつかしいメルヘンの趣きがある作品だ。
この小説には、傷つき苦しむ愛しい命に、救いの手を差し伸べようとされる敬宮殿下の心の奥にある願いが、優しく美しく表現されていた。
その願いが約10年ほどの歳月を経て、今回の日赤へのご勤務という形で結実したともいえるのではないだろうか。
その意味では、敬宮殿下は初志を貫かれたと言えるだろう。
両陛下のお気持ち
この度の敬宮殿下のご選択に対する天皇・皇后両陛下のお気持ちも発表されている。
両陛下は共にイギリスの名門オックスフォード大学に留学され、天皇陛下は学習院大学の大学院でも学ばれている。
しかし、そのようなご自身らのご経験にこだわることなく、あくまで敬宮殿下ご本人のご意思を尊重しておられる。
皇室と日赤のつながり
改めて言うまでもなく、皇后陛下は日本赤十字社の名誉総裁であられる。
さらに、多くの皇族方が名誉副総裁に就任しておられる。具体的には秋篠宮妃・紀子殿下をはじめ、常陸宮殿下、同妃・華子殿下、三笠宮妃・百合子殿下、寛仁親王妃・信子殿下、高円宮妃・久子殿下だ。すべての宮家の方々が、名誉副総裁というお立場で日赤に関わっておられることになる。
皇室と日赤のつながりはそれほど深い。
そのつながりの始まりは、日赤が設立された明治時代にまでさかのぼる。
明治時代における皇室と日赤とのつながりについては、次のような事実が知られている。
明治10年(1877年)、博愛・人道の精神を旗印とする赤十字社の活動に感銘を受けた佐野常民らは「博愛社」を設立し、当時、西南戦争で戦った政府側の兵たちと西郷隆盛側の兵たちの両方の傷病者に、救護を行った。
その6年後、明治天皇の皇后、昭憲皇太后から博愛社への寄付がなされるようになり、以後も継続された。
明治20年(1887年)には「日本赤十字社」と名称を改める。日赤は皇室の全面的な保護・支援を受けるようになる。