検索すると大量に見つかる残酷な写真
もう一つ、この連載で伝えたかったことは、見えない差別と常識、というもの。それがとても危ないものであり、私たちは常々気を付けるべきだということ。
少し遠い話をしながら、この連載で書きたかったことを、確かめてみたいと思います。
気分を悪くする内容が含まれていますが、お許しください。
こんな写真がネットをググると大量に見つかることを、皆さんはご存じですか?
着飾った女性たち。時代を表すのか、ペチコートを履いたAタイプの花柄ドレスを身にまとい、こちらに向かって笑顔でほほ笑む淑女のわきには、屈強な白人男性が立っています。
周り中、こうしたカップルや子連れ家族が溢れています。
中には、ピクニックシートを広げて、お弁当を食べる人たちもいます。
風景や服装から察するに、アーリーアメリカン、1940~50年代の米国の地方都市でしょう。
日本で言えば、さながら、花見にでも来たようなスナップに他なりません。
さて、写真の上のほうを見ると、この日のメイン・イベントがくっきりと映っています。
それが何だかわかりますか?
リンチされて吊るし首になった黒人です。
死体の袂では、まるでサンドバッグのようにファイティングポーズをとる勇者もいます。
こんな写真が、ひっきりなしに出てくるのです。
中には、年端も行かない少女がVサインをしていたり、うら若き美女が死体を見つめて笑っているものもあります。生きながら焼かれた奴隷が、炎でその轡が焼けほどけたため、身体の自由を取り戻し、熱さを逃れようと、吊るされた樹の上方へと必死に上る姿を映したものさえあります。悲しいことに、彼の両手の指はすでにもぎとられていたので、上るに上れず、焼けただれて死んでいく写真。それが、当時は絵葉書になって発売されていたそうです。
後世から「ありえない」と思われる蛮行
こうして吊るされた黒人の多くが、レイプなどの疑惑をかけられていました。そこで、死体からは(時には生きたまま)、彼らの性器がもぎり取られます。このイニシエーションに、紳士淑女たちは喝采を送っていたというのです。
世界的に見れば、ナチスドイツが行ったユダヤ人やロマへの虐待・虐殺が糾弾されていた「開明的な」時代において、自由の国アメリカで、この蛮行がなされていたというパラドックス。
このスナップ写真に写った紳士・淑女は、皆、当時のアメリカ地方都市で「常識的」に生きていた人たちです。彼らと同じ街に住む彼らの末裔たちは、この写真を見たら、「ありえない」と悲嘆にくれるでしょう。
でも、黒人迫害時代の先祖より、現代の子孫たちが人として優れているわけではありません。どちらも、「同時代の常識」に感化されてできたクライテリアに従って、物事を判断しているにすぎないでしょう。
黒人も白人も同じ人間であり、命の尊さは変わらない。ユダヤ人への迫害が許されない中で、黒人へのリンチが許されるはずもない! そんな現代人の常識を当時叫んでも、時空を超えたこの正論は、「珍奇な非常識」と嗤われただけでしょう。
常識が社会を包み込み、大多数の人はそれに抗えないということが分かっていただけたでしょうか。