ステージ4のがん再発からわずか3カ月で寛解に

1994年、30歳の若さでステージ3の子宮頸がんと診断されたジェーン・マクレランドが「うるさい」患者になるまでには、5年の歳月が必要でした。彼女は医師が勧める広汎子宮全摘出術に従いましたが、それは生殖能力の喪失を意味しました。

最初はあまりに落ち込んでいたため、従来の治療法以外に目を向けることができず、医療チームが積極的にがんを攻撃するがままに任せて、当時、最善策と考えられていた手術や放射線、化学療法という従来の治療計画に従いました。

理学療法士だったジェーンは自然と、さらなる治癒を求めるようになります。その2年後の1996年、母親が乳がんで亡くなったとき、ジェーンは従来のケアでは十分でないことに気づきました。そして、自らの手で問題を解決することにしたのです。

自分自身を実験台にして、食事や運動、サプリメントなどの治癒の要素を、本来の目的以外に薬を使用すること(いわゆる「適応外使用」)も含めて調べはじめました。彼女は食事や運動、サプリメント、ビタミンCの点滴、紫外線照射(少量の血液を紫外線にさらし、身体の免疫反応を高めて感染症を防ぐ方法)を慎重に続けた5年間、幸いにも寛解状態を維持することができました。

しかし、残念ながら、1999年末にジェーンの子宮頸がんは再発し、今度は肺に転移したためステージ4に分類されました。このステージでの生存期間は通常、数週間であり、ジェーンは末期であることを告げられました。

ジェーンは再び手術と化学療法という従来の治療法に加え、補完療法を積極的に取り入れます。彼女は、アスピリンを抗炎症剤とCOX-2/VEGF阻害剤(注:COX-2とVEGFは腫瘍周辺の血液の成長を促進する酵素)として使用するなど、新しい適応外薬をサプリメント療法に追加。さらに、ベルベリンを使用して血糖値(炭水化物に含まれる単糖)を下げ、健康的な脂肪代謝を促進し、腸の感染症を撃退しました。

驚くべきことに、ステージ4の再発からわずか3カ月後の2000年はじめに、ジェーンは寛解状態に戻っていたのです。ところがその3年後、ジェーンは末期の白血病と診断されます。これは、強い放射線と化学療法を受けた副作用の可能性がありました。まだ39歳だったジェーンはショックで、ひどく落ち込みます。

病院の窓から外を見ている患者
写真=iStock.com/KatarzynaBialasiewicz
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自分自身で治療をコントロールする

このときジェーンは、医療業界が適応外薬を軽視してチャンスを逃していると確信しました。さらに彼女は、化学療法を受けるようにという忠告を無視し、代わりに信頼できる統合医療の医師と協力して、独自の適応外薬の「カクテル」をつくりました。

このカクテルには、従来の医寮では長い間忘れられていた薬や、がんの治療以外の目的で使われていた薬(通常は高コレステロールの治療に使われるロバスタチンや、糖尿病のコントロールに使われるメトホルミンなど)が含まれていたのです。

医療業界で働いていたことがあったジェーンは、新薬の特許取得にばかり気をとられ、医師が「がんを飢えさせる」のに役立つ古い(しかも安価な)薬の可能性を見落としていると考えたのです。自分自身で治療をコントロールするときが来たのです。

「私は、多くの患者が死ぬのは、がん専門医に対する礼儀正しさと、愛する人を動揺させることへの恐れからだと理解するようになりました。しかし、私はすでに統合医療の医師と補完的な治療法を見つけ出していました。

また、私は知識によって自信を得ました。私はどっちつかずの状態で待っていたのではありません。もっとできることがたくさんあったのです。

がんの治療がますます困難になることを知りながら、ただ斧が振り下ろされるのを待つのではなく、積極的に行動し、コントロールすることが大切だと思ったのです。そう、私は頑固になるつもりでした」

ジェーンのたゆまぬ探究心は、3度目の寛解をもたらしましたが、これも長くは続きませんでした。いつも非常に厳格だった食事療法とサプリメント療法を「挫折した」翌年、再び腫瘍マーカーのレベルが急激に上がったのです。

彼女は適応外薬とがん撲滅サプリメントのカクテルを飲むのを再開し、今回は3カ月以上服用しました。今でも時々、「静かなパニック」になった際には薬を服用しています。

うれしいことに、ジェーンの寛解は15年以上続いています。2004年以来、病気の兆候もありません。現在、彼女は世界中のがん患者に、適応外薬の使用や自然なアプローチでがん細胞を飢餓状態にする方法について教えながら、自身の治癒の旅を詳細に描いたベストセラー本『How to Starve Cancer』を執筆しました。