自分の持っているものを手に前へすすむ

簡単に負けるわけにはいかなかったし、避けたほうが楽かもしれない状況を避けはじめるわけにもいかなかった。もっと安心して怖がれるようになる必要があった。あきらめないのなら、前にすすみつづけるしかない。この点でも父の人生がお手本として教訓を示してくれた。自分が持っているものを手にとって、前へすすむ。道具を見つけ、必要に応じて適応して、先にすすみつづける。“にもかかわらず”がたくさんあるのをわかったうえで、へこたれずにがんばる。

NEVER GIVE UPと書かれた黒板
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わたしには選択肢がある

わたしの気性は、父の気性とはいくつかの点で異なる。わたしは父ほど辛抱強くないかもしれない。自分の意見をもっとはっきり口にしがちだ。父のように不公平を受け流すことはできないし、受け流せるようになるのが目標だともかならずしも思わない。でもわたしは、本当の安定がどこから生まれるかを父から学んだ。それは自分のなかからやってくる。そして安定が足場になり、そこからもっと大きな人生をはじめられる。

ほかとちがっていてもゆとりのある父、たいていどんな場所へ足を踏みいれるときにも尊厳を保っている父を見ていたこともあって、わたしも不安を頭から締めだし、自分が置かれた状況のなかで権利をよりよく主張するのに何が役立つかがわかるようになった。わたしが選べること、コントロールできることがあると気づいて、居心地が悪いときにはそれを自分に言い聞かせた――新しい力の場に足を踏みいれるときや、見知らぬ人でいっぱいの部屋にいて、ここはわたしの居場所じゃない、わたしは品定めされている、というチクチク刺すような意識を感じるときには、いつもこのメッセージを思い浮かべた。

どんなシグナルでも、それを自分のなかに取りこむ必要はない――ほかとちがう存在だと見なされていても、そこにいる資格がないと思われていても、何かの理由で厄介者だと思われていても、それに、わたしが感じとっているものがたとえ無意識のものや故意でないものであったとしても。わたしには選択肢がある。人生に、行動に、自分の真実を体現させることができる。姿を見せつづけて、仕事をつづけられる。その毒はわたしのものではない。