「人権侵害の極み」を60年間続けたジャニー喜多川

性加害かつ児童虐待であると同時に、監禁という犯罪でもあり、肛門性交を強要するという痛みを伴う暴行でもある。まさにジャニー前社長は「主に中学生期の」少年をターゲットに「人権侵害の極み」と言うべき罪を犯し、おそらくそれを楽しみながら60年間も続けてきたわけである。

なぜその恐るべき犯行が糾弾されず、ジャニー前社長が生きている間に止められなかったのか。報道の機能不全も検証すべきだが、まずは“事件の現場”であったジャニーズ事務所の問題点を報告書から読み解きたい。図表1にまとめたのは、報告書の記述を基に年表形式にしたものだ。

喜多川一族3人で自社株を持ち続けてきた

1962年、ジャニー前社長は、池袋にあった芸能学校「新芸能学院」に間借りしてジャニーズ事務所を創業。既にその時点で15人の生徒に性加害をしたことが判明して学校を追われたが、最初に売り出したアイドルグループ「ジャニーズ」をブレイクさせる。

「ジャニー氏のプロデュースにより数多くの人気アイドルタレントがジャニーズ事務所から輩出されることにより、ジャニー氏のカリスマ性がますます強くなり、それと同時に、誰もジャニー氏に対して文句を言えず、また、言おうともしなくなるという、同族経営の負の『企業風土』ともいうべきものがより強く醸成されていった」と特別チームも分析する。

ジャニーズ事務所は1975年には株式会社に。株はジャニー前社長と姉のメリー喜多川が30%ずつ、他の関係者が残りを保有していた。しかし、1980年にはジャニー50%、メリー50%に。以降、姉弟が死去し現社長の藤島ジュリー景子(ジャニー前社長の姪)が株を100%保有する現在まで、完全なオーナー会社、同族経営の企業として成長してきた。