好きなものを頼んでいいよと言われたとき

なんでも好きなものを頼んでいいよ、と言われたときに何を選ぶかで、その子がどういう扱いを受けてきたかわかるよね、と友人が言った。この人も、親との折り合いが悪かった。まだ子どもの時分、あまりに理不尽な扱いに耐えかねて、母親を背中から刺したという。その後しばらくして、母親は自殺したそうだ。

私の話もしばしば聞いてもらうのだが、以前、母親に対する激しい憤りを露わにしてしまったとき、できるだけ距離を置くのがいいよ、自分が言えることはそれくらい……と俯いてしばらく黙り込んでしまったことが印象に残っている。

怒った母親におびえる子ども
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メニューの中で一番安いものを選ぶタイプ

結婚相手から、メニュー表の一番安いほうから選ぶよね、って言われたんだよね、と友人は続けて言っていた。これって、その人がどういう扱いを子どものころに受けていたかに由来するんだと思う、親に迷惑をかけてはいけない、自分が負担だと思われてはいけない、と無意識に気を遣ってそういう風にするんだよね、と。

この振る舞いには、いわゆるアダルトチルドレン的な傾向が強く表れている。機能不全家庭において、子どもが犠牲を払わされ、健全な発達が阻害されて、ある類型をもった人格を身に着けてしまうという現象がしばしばみられる。大人になってからであっても、自分がそれに当てはまるものだと気づいて、何らかの形で癒すことができる状況にあるのならいいが、そうでない場合は苦しい。

周囲の人に恵まれているときはいいのだが、他人を操作するタイプの人に出会ったときにその標的とされて被害を受けやすい。自分の苦しさや痛みに目を瞑ることに慣れ過ぎているためにそれに鈍感で、搾取の構造を固められ、気づいた時にはもう遅いのだ。

もし私が詐欺師であったなら、“メニュー表の一番安いものを選ぶタイプ”というフィルタを掛け、罠を仕掛けるだろう。無論、私はそういうことを他人に対して平気でできる性格ではないので、実際にはやらないわけだけれど。